こっちの方は大したことはあるまい」と安心している中《うち》に、焼け延びるだけ延びた火の手は俄然《がぜん》として真西に変って来た。
「おやおや風向《かざむ》きが変った。西になった」
と、いってる声の下から、たちまち紅勘横丁へ火先《ひさき》が吹き出して来た。これは浅草の大通りだ。師匠の宅から正に半町ほど先である。と、見ると、火の手は、南進していたものが一転して東方に向って平押しに押し込んで、大通りに向う横町という横町へ、長蛇の走るよりも迅《はや》い勢いで吹き出して来た。今の今まで安心していた主人を初め、弟子、下職《したじょく》、手伝いに駆けつけた人々が、「もう、いけない。出せるものだけ出せ」というので、荷物を運び出しました。

 荷物を運ぶといっても、人家|稠密《ちゅうみつ》の場所とて、まず駒形堂|辺《あたり》へ持って行くほかに道はない。手当り次第に物を持って、堂の後ろの河岸の空地《くうち》へと目差して行く。
 荷物を運ぶのは何処《どこ》も同じことですから、見る見る中《うち》に、この辺は荷物の山を為《な》す。ところが、横丁々々から一斉に吹き出した火は長いなりに大巾《おおはば》になって一面火の海となり、諏訪町、駒形一円を黒烟に包んで暴《あば》れ狂って来た。
 で、今度は広小路の方へ追われて出て、私たちは広小路の万年屋(菜飯屋)の前へ荷物を運び出しました(万年屋は師匠の家のしるべ[#「しるべ」に傍点]でした)。
 すると、風が西に変って強くなったものだから、一度南進した火先は、先方へ延びずに後《あと》へ退《さが》り、西飛の癖として、火先へ延びず、逆に尻火に延び、反対に退却した形になって仲町から田原町へと焼けて来た。それのみならず、今度は、その後退した火先は、西風に煽《あお》られて物凄《ものすご》い勢いをもって広小路へ押し出して来たのです。
 一体、浅草は余り火事|沙汰《ざた》のない所|故《ゆえ》、土蔵など数えるほどしかなかった。それに安政の大地震《おおじしん》の際、土蔵というものが余り役に立たなかったことを経験しているので、一層数が少なかった。ただ、酒屋の内田に五ツ戸前ばかり、他に少々あったほどだから、枯れ草でも舐《な》めるようにめらめら[#「めらめら」に傍点]と恐ろしい勢いで焼いて行く。一方は諏訪町、駒形方面から、一方は門跡から犇々《ひしひし》と火の手が攻めかけて来るのだ
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