とが普通一般の定則として、十一歳がその季に当っていたのであります。十二歳になると、奉公盛り、十三、十四となると、ちっと薹《とう》が立ち過ぎて使う方でも使いにくくて困るといったもの……十四にもなってぶらぶら子供を遊ばして置く家があると、「あれでは貧乏をするのも当り前だ。親たちの心得が悪い」と世間の口がうるさかったもの――だから、十一、二歳は奉公の適期であって、それから十年間の年季奉公。それが明けると、一年の礼奉公――それを勤め上げないものは碌《ろく》でなしで、取るにも足らぬヤクザ者として町内でも擯斥《ひんせき》されたものでありました。
私は、その頃の幼名を光蔵《みつぞう》と呼んでおりました。
「光蔵、お前も十二になった。奉公に行かんではならん。お前は大工になるが好《よ》かろう。どうだ。大工になるか」
父の言葉に対して私は不服はありませんから、
「大工は好《い》い、……大工に行きましょう……」
「そうか、それでは好い棟梁を探してやろう」
父はこういいましたが、ちょうど、私の父兼松の弟の中島鉄五郎という人の家内の里が八丁堀の水谷町《みずたにちょう》に大工をやっておったので、他を探すよりも、身内《みうち》のことでもあるし、これが好かろうと、いよいよ、明日《あす》は、おばさんが、私をその大工の棟梁の家へ伴《つ》れて行ってくれることになりました。
底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日第1刷発行
1997(平成9)年5月15日第6刷発行
底本の親本:「光雲懐古談」万里閣書房
1929(昭和4)年1月刊
入力:山田芳美
校正:土屋隆
2006年1月15日作成
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