された位でありました。親の富五郎も鼻高々で楽しんでおりましたが、ふと、或る年悪性の疱瘡《ほうそう》に罹《かか》って亡《な》くなってしまいました。そのため富五郎は悉皆《すっかり》気を落としてしまい、気の狭い話だが、自暴《やけ》を起して、商売の方は打っちゃらかして、諸方の部屋《へや》へ行って銀張りの博奕《ばくち》などをして遊人《あそびにん》の仲間入りをするというような始末になって、家道は段々と衰えて行ったのでありました。
しかし、この富五郎という人は極《ごく》気受けの好《い》い人で、大層世間からは可愛がられたといいます。やがて、家業を変えて肴屋《さかなや》を始め、神田《かんだ》、大門《だいもん》通りのあたりを得意に如才なく働いたこともありますが、江戸の大火に逢《あ》って着のみ着のままになり、流れて浅草《あさくさ》の花川戸《はなかわど》へ行き、其所《そこ》でまた肴屋を初めたのでありました。
花川戸の方も、所柄《ところがら》、なかなか富本が流行《はや》りまして、素人《しろうと》の天狗連《てんぐれん》が申し合せ、高座をこしらえて富本を語って大勢の人に聞かせている(素人が集まって語り合うことをおさらいという。これに月さらい、大さらいとある)。根が好きでもあり、上手でもあった富五郎がこの連中へ仲間入りをしたことは道理《もっとも》な話……ところが富五郎が高座に出ると、大層評判がよろしく、「肴屋の富さんが出るなら聞きに行こう」というようなわけでした。このおさらいは下手《へた》な者が先に語る。多少上手な者が後《あと》で語るのが通例である。そのため聴衆は先に語る人に悪口をいう。下手な人が高座に上がると、「貴様なぞは早く語って降りてしまえ、富さんの出るのが遅くなるぞ」など騒ぎました。すると、その連中の中に、この事を口惜《くや》しがり、富五郎の芸を嫉《そね》むものがあって、私《ひそか》に湯呑《ゆのみ》の中に水銀を容《い》れて富五郎に飲ませたものがあったのです。そこは素人の悲しさに、湯くみがない。湯くみは友達が替わり合ってしたのですから、意趣を持った男はその隙《ひま》に悪いことをしたのと見える(本職の太夫《たゆう》は、他人には湯はくませはしない。皆門人を使うことになっている)。富五郎はその晩から恐ろしく吃逆《しゃっくり》が出て、どうしても留《と》まらない。身体《からだ》も変な工合《ぐあい》
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