3水準1−92−58]《くわうばく》として、裾野も、森林も、一面に大瀛《たいえい》の如く、茫焉《ばうえん》として始処を知らず、終所を弁ぜず、長流《ながる》言はずや、不二の根に登りてみれば天地《あめつち》は、未《ま》だいくほども別れざりけりと、まことや今日本八十州、残る隈《くま》なく雲の波に浸《ひた》されて、四面|圜海《くわんかい》の中、兀立《こつりつ》するは我|微躯《びく》を載せたる方《はう》幾十尺の不二頂上の一|撮土《さつど》のみ、このとき白星を啣《ふく》める波頭に、漂ふ不二は、一片石よりも軽|且《かつ》小なり、仰げば無量無数の惑星恒星、爛《らん》として、吁嗟《ああ》億兆何の悠遠《いうえん》ぞ、月は夜行性の蛾《が》の如く、闌《た》けて愈《いよい》よ白く、こゝに芙蓉《ふよう》の蜜腺なる雲の糸をたぐりて、天香を吸収す、脚下紋銀白色をなせる雲を透かして、僅《わづか》に瞰《うかゞ》ひ得たり、この芙蓉の根部より匐枝《ふくし》を出だしたる如き、宝永山の、鮮やかに黒紫色に凝固せるを、西へと落ちたる冷魂の、銹《さび》におぼろなる弧線を引いて、雲と有耶無耶《うやむや》の境地に澄みかへれるは本栖湖にやあらむずらむ。雲は寄る寄る崖《がけ》を噛《か》んで、刎《は》ね返されたる倒波《ローラア》の如きあり、その下層地平線に触《ふ》れて、波長を減じたるため、上層と擦《さつ》して白波《サアフ》の泡《あは》立つごときあり、之《これ》を照らすにかの晃々《くわう/\》たる大月あり、その光被するところ、総《す》べてを化石となす、試《こゝろみ》に我が手を挙《あ》ぐるに、晶《あきらけ》きこと寒水石を彫《ゑ》り成したる如し、我が立てる劒ヶ峰より一歩の下、窈然《えうぜん》として内院の大窖《たいかう》あり、むかし火を噴《ふ》きたるところ、今神仙の噫気《あいき》を秘蔵するか、かゝる明夜に、靉靆《あいたい》として立ち昇る白気こそあれ、何物たるかを端知せむと欲して、袖庇《しうひ》に耐風マッチを擦《さつ》するも、全く用を成さず、試に拳石を転ずるに、鳴鏑《めいてき》の如く尖《とが》りたる声ありて、奈落《ならく》に通ず、立つこと久しうして、我が五躰《ごたい》は、悉《こと/″\》く銀の鍼線《しんせん》を浴び、自ら駭《おどろ》くらく、水精|姑《しばら》く人と仮幻《かげん》したるにあらざるかと、げに呼吸器の外に人間の物、我にあらざ
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