りは恐らく螺旋《らせん》状にでも上れよう。結局富士は、探検家の山でなくて、女でも、子供でも、老人でも、心|易《やす》く登れる全人類の山だ。殊に旅人の山だ。私も旅人として富士を讃美する。
アルプスの美を、知覚的に讃美したのは、スイスの農夫でなくて、旅人であった如くに、富土山もそうであった。「天地《あめつち》のわかれし時ゆ、神さびて」と歌った山辺赤人《やまべのあかひと》は旅人であった。太刀《たち》持つ童《わらべ》、馬の口取り、仕丁《しちょう》どもを召連れ、馬上|袖《そで》をからんで「時知らぬ山は富士の根」と詠じた情熱の詩人|在原業平《ありわらのなりひら》も、流竄《りゅうざん》の途中に富士を見たのであった。墨染《すみぞめ》の衣を着た坊さんが、網代笠《あじろがさ》を片手に杖ついて、富士に向って休息しているとすれば、問わずして富士見|西行《さいぎょう》なることを知る。富士くらい大詩人を持った山が、地球上のどこに存在しているだろう。名もない一遊子ではあるけれど、私も幼い時から、富士の影を浴びて、武蔵相模で育った一児童として、永い間の外国生活から、故国へ放還された一旅人として、親友と、子供と、忠実なる案内者とに囲まれて、今富士の膝下《ひざもと》へ来て亡き母の顔に見《まみ》えまつるが如く、しみじみと見ているのだ。
今にも大野原の上を、自由に飛翔しようとする大鳥が羽翼を収めて、暫く休息している姿勢を、富士は取っている。空気は頬一杯に吹かれてビードロのように、薄青い光を含んで流動している。そして野も、山も、森も、朝の光線にひたって、ああ光ほど不思議な現像液はあるまい。幻からはっきりと、物体のつかめる現実の世界となった。
六 富士の古道
この前に来たときは、裾野の路という路は、馬力のわだちのあとで、松葉つなぎにこんぐらがり、太く細く、土が掘れたり、盛り上ったりして、行人を迷わせたところに、裾野らしい特色があったが、今は本街道然たる、一筋路が、劃然《かくぜん》と引かれて、迷いようもなくなった。
一合から一合五|勺《しゃく》の休み茶屋、そこを出ると、雲の海は下になって、天子《てんし》ヶ岳の一脈、その次に早川連巓の一線、最後に赤石山系の大屏風《だいびょうぶ》が、立て列《つら》なっている。富士の噴出する前から、そこに居並んで、もっとも若い富士が、おどろくべく大きく生長して、
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