、町から幾分か離れて、大裾野のひろがり始めるところに存するだけ、構図の取り方が一層大きく、三里の草原を隔てて、富士につながる奔放さは、位置の取り方が一倍と広く、社殿そのものも、天空高く浄《きよ》められたる久遠《くおん》の像と、女神の端厳相《たんげんそう》を仮現《かげん》する山の美しさを、十分意図にいれ、裏門からの参詣道を、これに南面させて、人類の恭敬を表示したところの、信条的構造と見られる、建築の手法、細故《さいこ》のテクニックにわたっての是非は知らず、楼門廻廊の直線と曲線が、あるいは並び下り、あるいは起き伏すうねりにつれて、丹碧《たんぺき》剥落《はくらく》したりとはいえ、燦然《さんぜん》たり、赫焉《かくえん》たるに対面して、私はここでもくりかえしていう、「日本の山は、名工の建築があるからいいなあ」と。
ところで一体、富士の神を浅間《せんげん》と呼ぶのは、どうしたわけであろうか。富士の権現は信濃の国|浅間《あさま》大神と、一神両座の垂迹《すいじゃく》と信ぜられていたところから、浅間菩薩《せんげんぼさつ》ともいい、富士|浅間《せんげん》菩薩とも呼んだりしたが、本元の浅間《あさま》山の方は、一の鳥居があるだけで、御神体は、山そのものに宿るとしてあるから、神社の鎮座がない。富士の登山諸道に、壮麗な神社があるのと対照して、これはこれ、あれはあれでいいと思う。
五 旅人の「山」
万坊ヶ原の一本松は、暁の暗《やみ》に隠れた、那須野ヶ原あたりの開墾地にありそうな、板葺小舎《いたぶきごや》から、かんがりと燈《ひ》がさす。月見草の花が白い、カケス畑を知らぬ間に過ぎて、自動車はスケッチ帳入りの小嚢《しょうのう》を手に下げた茨木君と私と長男隼太郎外、強力《ごうりき》一人を大野原に吐き出して、見送りのため同乗せられた大山さんと、梅月の主人をさらって、影を没してしまう。暁の空に大宮表口の裾野原は、うす紙をはがすように目がさめる。ホトトギスがしきりになく。富士のさばいた裳裾《もすそ》が、斜《ななめ》がちな大原に引く境い目に、光といわんには弱いほどの、一線の薄明りが横ざまにさす。正面を向いた富士は、平べッたくなって、塔形にすわりがいい。ただ剣ヶ峰の頂のみが、槍のように際立ってとがって見える。雲は野火の煙の低迷する如く、富士の胴中を幅びろに斜断して、残んの月の淡い空に竜巻している、
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