鳥はひんから、ひんからと啼く。
傾斜が次第に急になる、白檜も段々小さくなる、谷々の風が吹き荒《すさ》んで、土をくずし、樹を吹き折り、上から押し流すので、傾斜がなお急になるのであろう、また一筋の路が深林の中を横ぎっている、何でも奈良田《ならだ》の人が、材木を盗伐するために、拓いたので、この道は広河内《ひろこうち》から一里半の上、池の沢というところから初まって、奈良田から四里もあるという、白河内《しろこうち》の谷まで切ってあると、晃平は語った、唐檜の伐り痕の、比較的新しいのは、それかも知れない、彼らは盗伐して、板に挽《ひ》いて、曲げ物のように組んで、里へ出すのである、林務官などが殺されたりするのも、こういう路で、不意に盗伐者に邂逅《かいこう》するときである、野獣のような盗伐者は、思慮分別もなく、牙《きば》を咬《か》んで躍りかかり、惨殺して後を晦《くら》ましてしまうのである。
白檜の丈も、四、五尺になった、山の頂は直ぐ額の上にあるかして、水分を含んだ冷たい空が、俄にひろくなる、樹影に白い花が、チラリと見えた、誰が叫ぶとなく、石楠花《しゃくなげ》石楠花という声が伝わった、そりゃもう登山家《マウンティニアー》でなくては、想像の出来ない、世間も、人間も忘却した、心底からこみ上げて来る嬉しい声が、この一株を繞《め》ぐって起った、白峰の雪は白い、その雪解の水を吸って育った、石楠花の白花は、天風に芳香を散じて、深林の中に孤座している、西の国のアルプスの人たちが、石楠花を高山薔薇《アルペン・ローズ》と呼ぶのも無理はない、私は何よりも懐かしい石楠花に、そっと接吻した、足許を見ると、黄スミレも咲いている、偃松が始めて見えた、久しぶりの知音が、踵《きびす》を接して、ドヤドヤと霧の扉を開けて、顔を出して、手招きをしている。
偃松は、もう白檜帯と、一線を劃《かぎ》った、その境目から下は灰色で、上は黯緑だ、黯縁の偃松は、山の峰へ峰へと、岩石を乗り越え、岩壁の筋目へと喰い入り、剃刀のような脊梁《せきりょう》を這って、天の一方へと、峰のそそり立つところまで、這い上っている、偃松の中には、風で種子を飛ばされたと見える白檜が、一、二本、継子扱いをされたように、悄然とサルオガセを垂れながら、白く骨立っている、弱きものにも寄生する更に弱きものがある、顧れば白檜帯は、脚下に圧しつけられ、背丈を揃えた庭の短
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