ひらけたかと思ふと、あまり高くはないが、日本アルプス系の一峯が、遠い空に聳えてゐる、おもひ出せば、或時は夕暮の夏の、赫々たる入日に、鋼線《はりがね》が焼き切れるやうな、輝やきと光沢を帯びて、燃え栄つてゐたのも、是等の山々であつた、その山の白い頭を、いや白くして、白金《プラチナ》の輝やきを帯びてゐた氷雪が、日の光と、生命の歓楽に、よどみを作つて、房々とした黒髪の長い処女の森を通り抜け、何千年となく無辜《むこ》の生霊を葬つてゐる、陰惨たる洞窟から、滲み出て、異教徒のやうに、反抗の叫びを高くして、放浪児のやうに、刹那々々の短い歓楽を謳歌して、数千万の水球の群れが、山と山とに囲まれてゐる狭い喉を、我|克《が》ちに、先を争つて通過してゆくのである、一分一秒は、白く泡立つ波と、せゝらぐ水の音に、記録されてゐる、凡ての雰囲気が、みんな水に化けてしまふかとばかりに、一団の雲とも、水蒸気ともつかぬ精力《エネルギー》になつて、吹つ飛んでゆく。
谷川の水であるから、海にあるやうな深い水の魔魅《まみ》はないかも知れない、けれどもまた海の水のやうに、半死半生の病人が、痩せよろぼひて、渚をのたうち廻つたり、入江
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