に、白くギラギラと輝いている、更に北岳は奥の奥だけあって山の胸にかけて、一里以上もある、凝れる氷を幾筋か白く引いている、自分は北方の白馬岳で、氷河的雪の壮観を説くのは、南の印度《インド》で、ジャングル的藪の美を説くのと同じく、当然と思っている、しかしながら偉なる哉《かな》、南方の雪[#「南方の雪」に白丸傍点]! 黒潮|奔《はし》れる太平洋の海風を受けて、しかもラスキンのいわゆる、アルプスの魔女が紡《つむ》げる、千古の糸にも似た雪の白い山! 讃嘆せよ、讃嘆せよ、太平洋岸の表日本には、東に富士あり、西に我白峰がある。
 N君からは――ちょうど亜米利加《アメリカ》人が、ルーズベルトの一挙一動を、電報で知らせてよこすように、白峰山脈の一陰一晴を知らせて来る、「一昨日朝、初めて西山一帯に降雪あり、今晩半時ばかり、日出前――日出――日出後の山と、その空との、色彩の変化を観察す」(十一月十七日)とある、そうかと思うと「灰汁《あく》のような色の雪雲、日に夜叉神《やしゃじん》(峠の名)のあたりより、鳳凰、地蔵より縞目を作《な》して立ち昇り、白峰を見ざること久し」(十二月十七日)と渇《かつ》えた情を愬《うった》えて来る、「甲州は今雪の王国に御座候、四囲の山々、皆雪白、地蔵鳳凰の兀立《こつりつ》、殊に興趣あり、また雪ある山々の、相互の陰翳、頗る面白く候、東の方の山々の中、夕日の加減にて、或山のみ常は凡々たるが、真紅に、鮮やかに浮き立つことあり、珍しく人目を惹《ひ》くさま、何かの象徴の如くに候」(一月十九日)と物思わせることもある、真夏の夕暮に、下のようなハガキも、舞い込んだ。「極暑九十七度九分、山々に未だ雪あるに呆れ候、一昨夕、稀なる夕映、望遠鏡にて西山一帯を眺めいたるところ、駒ヶ岳の絶巓《ぜってん》、地蔵の頭、間の岳、農鳥の絶頂なる、各三角測量標を、歴々と発見いたし候」(七月十八日)、この時の感じは、何だか自分が観て、N君に知らせているような気がした。
 秋も末になった、白峰の山色を想っていると、N君から、馬上の旅客を描いた端書が来た。

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この月に入りては、甲斐が根颪一万尺余の絶巓より吹きなぐるに、目もあかれず、月の末あたりよりは、山男の鹿の片股、兎、猪の肉など、時々遥々とひさぎに参るべき由、さあらば、熊の皮の胴服などに、久しく無沙汰の芝居気取など致して見ばやと笑い居候、天長節より時雨つづき、雨やや上りて、雲がなき日の雪ある山の眺め、都人の想像及ばざるところに候、地蔵、鳳凰の淡き練絹《ねりぎぬ》纏いし姿は、さもあらばあれ、白峰甲斐駒の諸峰は、更に山の膚を見ず、ただ峻谷の雪かすかなる、朧銀の色をなして、鉛色なる空より浮き出で巨大なる蛇の舌|閃《ひらめ》いて、空に躍れる如し、何等のミレージ、何等のミラクル、今朝はやや晴れ、白峰満山の白雪、朝日に映じて瑪瑙《めのう》に金を含む、群山黙として黒く下に参す、富士も大なる白色魔の如く、鈍き空に懸れり、兄《けい》を招じて驚嘆の叫び承わり度候、山を見ては、兄を思う、昨日今日の壮観黙って居られず[#「昨日今日の壮観黙って居られず」に白丸傍点]、かくは
  冬近き山家や屋根の石の数  (十一月六日)
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 これを読まされると、自分はもう堪《たま》らなくなる、ふと目を挙げて「北に遠ざかりて雪白き山あり……」……、往きたいなあと、拳《こぶし》に力を入れて、机をトンと叩いた。



底本:「山岳紀行文集 日本アルプス」岩波文庫、岩波書店
   1992(平成4)年7月16日第1版発行
   1994(平成6)年5月16日第5刷発行
底本の親本:「小島烏水全集」全14巻、大修館書店
   1979(昭和54)年9月〜1987(昭和62)年9月
入力:大野晋
校正:地田尚
1999年11月25日公開
2005年12月11日修正
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