今日の我はおそらく明日の我にあらざらむ、而してこれ向上の我なり、いよいよ向上して我を忘れ、程を逐ひて自然に帰る、想ひ起す、昨八ヶ岳裾野の紫蕊紅葩《しずいこうは》に、半肩を没して佇《たたず》むや、奇雲の夕日を浴ぶるもの、火峰の如く兀々然《こつこつぜん》として天を衝《つ》き、乱焼の焔は、茅萱《ちがや》の葉々を辷《すべ》りて、一|泓水《こうすい》の底に聖火を蔵す、富士山その残照の間に、一朶《いちだ》の玉蘭《はもくれん》、紫を吸ひて遠く漂ふごとくなるや、桔梗《ききょう》もまた羞ぢて莟《つぼみ》を垂れんとす、眇《びょう》たる五尺の身、この色に沁み、この火に焼かれて、そこになほ我ありとすれば、そは同化あるのみ、同化の極致は大我あるのみ、その原頭を、馬を牽《ひ》いて過ぎゆく※[#「にんべん+倉」、第4水準2−1−77]夫《そうふ》を目送するに、影は三丈五丈と延び、大樹の折るる如くして、かの水に落ち、忽焉《こつえん》として聖火に冥合す、彼大幸を知らず、知らざるところ、彼の最も大幸なる所以《ゆえん》なり、ああ、岳神、大慈大悲、我らに代り、その屹立《きつりつ》を以て、その威厳を以て、その秀色を以て、千古万古天に祈祷しつつあるを知らずや。
 徂徠《そらい》先生その『風流使者記』中に曰く「風流使者訪名山」と。我らは風流使者にあらず、しかも天縁尽きずして、ここに名山を拝するの栄を得、名山が天を讃する如くにして、人間は名山を讃す、また可ならずや。
 駒ヶ岳の麓、台ヶ原の客舎に昼餐を了《おわ》りたる束の間に、禿筆を舐《な》ぶりて偶感を記す、その文を成さざる、冀《こいねがわ》くは我が興の高きを妨ぐるなからむ。



底本:「山岳紀行文集 日本アルプス」岩波文庫、岩波書店
   1992(平成4)年7月16日第1版発行
   1994(平成6)年5月16日第5刷発行
底本の親本:「小島烏水全集 全十四巻」大修館書店
   1979(昭和54)年9月〜1987(昭和62)年9月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:大野晋
校正:地田尚
1999年9月20日公開
2003年10月20日修正
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