合などを考えたことがある、中にも私の好む菜の花の場所は、相模大山の麓、今は烟草《たばこ》の産地として名高い秦野付近で、到るところ黄の波を列《つら》ねていた――併し此頃往って見たら、それも大方桑畑などに変って、今じゃあ夢になった、近頃は不思議なほど、菜の花が郊外から影を隠した、物価も租税も高くなって、菜種の油などを、搾っていては、割に合わぬから、もっと金の儲かるものを植えるのに、何も不思議はないが、私は何だか、夢を喰われたような気がする。
関西地方は知らず、東京横浜間や、その付近の郊外では、今では菜の花を見ると、珍しく振り返るほどだ、そうやって振り返るのも、私ぐらいなものかも知れない、大阪の郊外に住んでいる友人画家織田一磨氏は、「大阪付近では、到るところに金色をした菜の花の光が、太陽の光線を反射している、菜の花の盛りの時は、総《す》べての物が、皆黄色となる、反射光線の強いのは、ちょうど雪のようだ、そして黄色の野原の末に、紫に烟って見える遠山の色、悪くはおもわぬコントラストだ、そしてその黄色い海の内を、赤い絵日傘の娘が通る」と言って、大阪の自然の誇りにされたが、東京付近では、そういう自然は、もう見たくとも見られない。「菜の花や月は東に日は西に」「菜の花の中に城あり郡山」などいうのは、春げしきの中で、私が永久に保存したく思っている風景画である。
人に依ると、あの花の馨《かおり》は、糞ッ臭いから、いやだと言うようだが、幸いに私の嗅覚は、それほど過敏でない故か、ちっとも苦にならないどころか、臭いからして、私はこの花が好きだ、梅の匂いのように上品でないかも知れないが、土臭いのが堪《た》まらなくいい。
併しながら「亡び行く生物」の中に、この菜の花が、次第に加わるのではなかろうか、それとも都落ちの仲間に入って、次第に我等の付近から、影を隠してしまうのではあるまいか、場末の旅籠《はたご》屋などで、食膳の漬け菜の中から、菜の花の蕾《つぼみ》が交って出ることがあるが、偶然だけに、どんなにか私を悦ばすことだろう。
私の机上には、有り合せの玻璃瓶に、菜の花が投げ込んである、これは弟に捜させて、採って来たものである、天鵞絨《ビロード》のように、手障りの柔らかな青い葉が、互い違いになって、柱のような茎を取りまいて居る、此柱の頭から、莟《つぼ》みが花傘なりに簇《むら》がって、蛹虫《さなぎむ
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