本地誌の著者山崎直方氏に一読をすすめ置き申候細かき処は猶御面晤の栄を得候時万々申述度候
 山嶽小説のこと御たづねにあづかりうれしく候日本には未だ此種のもの無之候へども欧州各国を通し候ても、諾威の山岳国にのみ此種の文学を出せしことも一奇と存候其作数種有之著者ビョルンソンは御存知のごとく、イブセンと諾威文学の牛耳を執り候人、其半期の作物は多くは山岳、或は荒海などを舞台に使ひたるものにして、其人物と言ひ、其配景といひ一種他に見るべからざる野趣を帯び居り、其文章も空霊とでも申すべきか、大に簡にして味ふべきもの有之候其傑作を奉くれば
B Bjornson.
  Synnove Solbakken.
  Arne.
  A Happy boy.
  The Bridal March.
などに可有之、ことにアルネは山岳小説の尤も粋を尽したるものに候、先刻は中西屋に其英訳大抵そろひ居り候ひしが、今は如何に候ふや小生大抵所持致し候間、御入用ならば、いつにても御郵送申上べく、大に世間に山岳趣味を鼓吹いたし度希望罷在候
  東京にても御出遊の節は是非一度御目にかかり度く存候
 且、文庫屡ば御寄贈を辱うし奉謝候貴兄の批評は大に愛読いたし居候益々御尽力あらんことを祈り申候例の乱筆御ゆるしを乞うの外なく候[#地から1字上げ]不一
 烏水大兄 二十九日[#地から1字上げ]田山生
 次に、小生表記の処に移転仕候
[#ここで字下げ終わり]

 東京牛込北山伏町三十八田山鉄彌二十九日夕、とあるが、消印は明治三十八年八月三十一日、私の住宅は、横浜西戸部町六三五、手紙は半紙に墨筆で書いてある。
 右の文中にもある通り私の小著『日本山水論』を、山崎直方氏に見せたのは花袋で、山崎氏と私と知り合いになったのも、それが機縁の一つであったことと、信じている。
 花袋は、その後「蒲団」や「一兵卒」など自然主義派の見本のような小説を作って、国木田独歩、岩野泡鳴ら同主義の作家と呼応して、自然主義を文壇思潮の主流たらしめ、硯友社その他の既成老衰作家などを、ひとたまりもなく押し流してしまった。一方『文章世界』に倚《よ》って、若年を養成し、勢い当たるべからざるものがあった。その余威を駆って、と言っては不穏かもしれないが、自然派以外の作者たちは、たいていこの一派でやっつけられた。たまたま『文章世界』第二巻第十三号で、片上天弦、前田木城、水野葉舟、吉江孤雁ら合評の紀行文家月旦が出た。俎上に載せられたのは、麗水、桂月、天随、花袋、孤雁及び私であったが、一番ほめられたのが花袋と桂月で、当たらずさわらずのところが麗水、孤雁、最も手ひどくやっつけられたのが天随と私で、ことに私はひどく攻撃せられた。その中の一評者が「一時は紀行文は前人の未だ踏まない深山幽谷の奇景を、紹介するのを職とするような傾向であった、いや今でも、そういう好奇心で、紀行を書いている人もあるようだが、これはつまらぬことだろう」と言って、明らかに私に当たっている。つまり日本アルプス探検などは好奇心のなすわざで、その紀行文を書くのは、つまらぬことなんだそうだ。私も黙っていられず、駁論を同誌に寄せて、人の仕事にまで干渉して「これはつまらぬことだろう」とは「つまらぬ注意だろう」とやり返した。私の駁文は紀行文続論として『山水美論』(明治四十一年)に載せてある。
 爾来、私は花袋一派の党同異伐に対して、押えがたい不平を抱いていた。そして躍起となって、ますます山に登り、その紀行文を発表した。
 左団次が自由劇場を、有楽座で開演したとき、孤雁君と前田木城(晁)君に会った。木城君とは、そのときが初対面であった。話をしてみると、合評に根を持った反感がだいぶ消えた。その後『文章世界』で読者から紀行文家を投票させて、最高点を得た人に、彫塑かまたは油絵肖像を贈呈するということであった。私はたいてい当選者は決まっているだろうと僻み根性を出して、傍観していたら、どうしたことか、私が最高点に当選していた。そして孤雁木城二君が、横浜山王山の私の宅を尋ねられた。私は油絵の肖像を希望した。前田君は、画家として中村彝君を勧めてくれた。それでなければ、橋本邦助君はどうだということであった。私は実は中村彝君の絵を見ていなかったので、親しみが薄く、橋本君の温藉な画風を愛していたので、結局橋本君をわずらわすことになった。橋本君は、東京から山王山まで通って、登山仕立ての私を描いてくれた。服装はスイスから取り寄せた品で、羽をはさんだ帽をかぶり、ピッケルを手にして考えているようなポーズをしたものであった。背景は私の好みで、北斎の浮世絵、富嶽三十六景中の傑作「電光の富士」を用いた。その絵の写真は『文章世界』に載せられた。原品の肖像画は、「紀行文豪」たる、あるいはたりし記念として、家蔵として
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