いるが、今では上高地と書く、高地はおそらく明治になってからの当字であろう、上も高地も同じ意味を二つ累《かさ》ねただけで、この地を支配している水や河という意義がない、穂高山麓の宮川の池の辺に穂高神社が祀《まつ》ってある、その縁起《えんぎ》に拠《よ》ると、伊邪那岐命《いざなぎのみこと》の御児、大綿津見《おおわたつみ》の生ませたまう穂高見《ほたかみ》の命《みこと》が草創の土地で、命《みこと》は水を治められた御方であるから今でも水の神として祀られて在《い》ます、神孫数代宮居を定められたところから「神垣内《かみかきうち》」と唱えるとある、綿津見は蒼海《わだつみ》のことで、今の安曇《あずみ》郡は蒼海から出たのであろう、自分は土地に伝わっている神話と地形から考えて、「神河内《かみこうち》」なる文字を用いる、高地には純美なるアルプス渓谷の意味は少しもない、「河内《こうち》」は天竜川の支流和田川の奥を八重河内というし、金森長近が天正十六年に拓いた飛騨高原川沿道を河内路と唱えているから、この地に最もふさわしい名と考える。
 神河内の在るところは氷柱《つらら》の如き山づたいの日本アルプスの裏で、信濃南安曇郡が北に蹙《ちぢ》まって奥飛騨の称ある、飛騨|吉城《よしき》郡と隣り合ったところで、南には徳本《とくごう》峠――松本から島々《しましま》の谷へ出て、この峠へ上ると、日本アルプスの第一閃光が始めて旅客の眼に落ちる――と、北は焼岳《やけだけ》の峠、つづいては深山|生活《ずまい》の荒男《あらしお》の、胸のほむらか、硫烟の絶え間ない硫黄岳が聳えている、その間を水に浸された一束の白糸が乱れたように、沮洳《じめじめ》の花崗《みかげ》の砂道があって、これでも飛騨街道の一つになっている、東には前に言った穂高や、槍ヶ岳、やや低いが西に霞沢岳、八右衛門岳が立っている、東西は一里に足らず、南北は三里という薬研《やげん》の底のような谷地であるが、今憶い出しても脳神経が盛に顫動《せんどう》をはじめて来る心地のするのは、晶明、透徹のその水、自分にあっては聖書にも見えない創造の水、哲人の喉頭にも迸《ほとばし》らない深思の水、この水を描いて見よう。

     二

 路傍の石の不器用な断片《きれっぱし》を、七つ八つ並べて三、四寸の高さと見ず、一万尺と想ってみたまえ、凸凹《たかひく》もあれば、※[#「皺」から皮を抜いた
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