てゐて、いつも敬服してゐた。
いちばん最後に逢つたのは、築地の魚利といふ料亭だつた。去年の十一月頃で、その時分喘息で大分弱つてゐたらしいが、それでも酒一本半位呑んだかな。
妙に懐かしがつて、帰りに自動車で私の家のところまで送つて来て呉れた。私の家の隣りの隣りが米内総理の今度のお宅だが、自動車がそこまで這入るんで、そこで車をとめ、私を見送つて、
「関根さん、体を大事にしておくんなさいよ」
と声をかけ、
「俺よりもあんたが」
と笑つて別れた。あれが最後の別れになつた。
熱海へ行くとその時も言つたので、私の知つてゐる家を紹介したが、そこの家へ行つたかどうだか。亡くなつたと聞いたのでよつぽど熱海まで迎えに行かうかと思つたが、丁度折悪しく、私も風邪を引いて寝てゐたので、行けなかつた。残念したよ。
それでもこつちの告別式に出かけて行つたが、流石にいろんなことを考へ出して、ヂーンと涙が出さうだつた。しばらく電柱に凭れてゐたよ。
私が明治元年生まれの七十三歳、本因坊は私と六ツ違ひだつたから六十七歳、まだまだこれからと言ふところだからネ。
私の健康法として何でも無理をしてはいかん。私なんか風邪を引くとほとんど治るまで幾日でも凝乎家の中にこもつてゐる。柳に雪折れなしと言はうか、将棋でも無理筋を指すと、王様が頓死する様なことがあるからネ。何でも凝乎辛抱してゐるのが肝腎だ。五十前なら女でも酒でもいくらやつても平気だが、六十七十となると、気をつけなければいけないよ。お蔭で今年は喘息も大分いい。
本因坊にはどこか無理があつたんだな。正直だからネ。死ぬ前には体重が八貫メ欠けてゐたといふよ。いくら小男だつて、拾貫メ欠けちや心細いだらう。
小男に就いちや面白い話があるんだ。本因坊が台湾に出かけていつた時、何処かの宿屋で盗賊に逢つて、身ぐるみ持つていかれてしまつたんだ。囲碁の名人だつたのであつちの警察でもいろいろ心配して呉れてその結果暫らく経つて犯人が捕つた。どこから足がついたかと言ふとネ、古着屋からなんだ。本因坊は五尺に満たない小男だから、そんな子供みたいな着物は、ざらにはないからネ。それですぐ知れたのだ。盗んだ泥棒も定めし苦笑してたらうな。
私は本因坊が死んでから二度夢を見た。ゆうべも本因坊の夢を見たよ。
何でもどつかの料理屋みたいな処で二人‥‥‥、六七人の芸者や半玉に
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