寒さにあつても、人々は家の内に蟄して、炬燵《こたつ》に臀《しり》を暖めてゐることを許されない。昼は氷上に出て漁猟をする人々があり、夜は氷を截《き》つて氷庫に運ぶ人々がある。氷庫といふのは、程近い町に建てられてある湖氷貯蔵の倉庫である。
この頃、私の村では、毎朝未明から、かあんかあん[#「かあんかあん」に傍点]といふ響が湖水の方から聞えて来る。これは、人々が氷の上へ出て、「たたき」といふ漁をするのである。長柄の木槌で氷を叩きながら、十数人の男が一列横隊をつくつて向うへ進む。槌の響きで、湖底の魚が前方へ逃げるのを段々追ひつめて予《あらかじ》め張つてある網にかからせるのが「たたき」の漁法である。私の家は、村の最高所にある。庭下の坂が直ぐ湖氷に落ちてゐるのであるから、一列の人々を見るには、可なり俯《ふ》し目《め》にならねばならぬ。俯し目になつた視線が、氷上の人まで達する距離は可なりあるのであるが、氷上の人の槌を揮《ふる》ふ手つきまで明瞭に見える。氷を打つ槌先が視覚に達する時、槌の音はまだ聴覚に達しない。次の槌を振り上げるころに漸《ようや》く槌音が聞こえる。それで、槌の運動と音とが交錯して目と耳へ来るのである。目に来るものも、耳に来るものも微に徹して明瞭である。単に夫《そ》ればかりではない。一列の人々の話までも手に取るやうに聞えるのである。空気が澄んでゐる上に、村が極めて閑静であるからである。
村の人々は、又、氷の上へ出て「やつか」といふ漁猟をする。諏訪湖の底は浅くて藻草が多い。人々は、夏の土用中に、沢山の小石を舟に積んで行つて、この藻草へ投げ入れて置く。土用の日光に当てた石は、寒中の水にあつても、おのづから暖みが保たれると信ぜられてゐるのであつて、実際、凍氷の頃になると、魚族は多くこの積み石の間に潜むのである。それを捕へるのが「やつか」の漁法である。その積み石をも「やつか」といひ、「やつか」の魚を漁《と》ることをも「やつか」と言ひ做《な》らしてゐるのである。「やつか」の所在は、「やつか」を置いた漁人にあつて何時でも明瞭である。氷の上に立つて、湖水の四周から、嘗《か》つて記憶に止め置いた四個の目標地点を求れば足るのである。二個づつ相対する地点を連れぬる二直線は、必ずこの「やつか」の上で交叉することを知つてゐるからである。交叉の地点を中心として、半径四五尺の円を劃して氷を切
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