り外はない。
 心臓は今、さも/\快げに動いて居る。早く僕の血を通してくれといわんばかりに動いて居る。さあ、愈《いよい》よこれから、僕の血液を採る順序であるが、恋愛曲線を完成させたいのと彼女の悲壮な希望を満足させるために、僕も、未《いま》だ嘗《かつ》て試みなかった血液流通法を試みようと思うのだ。今までは注射|針《しん》を以て左の腕の静脈から血を採って居たが、今回だけは、僕の左の橈骨《とうこつ》動脈にガラス管をさしこみ、その儘《まゝ》ゴム筒《かん》でつないで、僕の動脈から、僕の血液が直接彼女の心臓の中に流れこむようにしようと思うのだ。彼女が生きた心臓を提供してくれた厚意に対しこれだけのことをするのはあたりまえのことだ。なお又、恋愛曲線を完成するためにも必要なことだ。

 二十分かゝった。
 やっと、僕の動脈血を彼女の心臓の中に送りこむことが出来た。血液は威勢よく走り出るので、少しも凝固を起さず、実験は間然《かんぜん》するところが無い。心臓は勇ましく躍る。その躍る姿を眺めて居ると、左手に少しの痛みをも覚えない。左手の傷から少しずつ血が滲《にじ》む。その血を拭《ぬぐ》うためペンを措《お》いて、ガーゼで拭《ふ》かねばならぬ。おや、紙を血でよごした。許してくれ。彼女の心臓へ注《つ》ぎこまれる血は再び帰って来ない。僕の血液は刻一刻減って行く。頭脳がはっきりして来た。暫らく、ペンを休めて、彼女の心臓を観察し、懐旧の思《おもい》に耽《ふけ》ろう。

 十分間過ぎた。
 全身に汗が滲み出た。貧血の為だろう。さあ、これからスイッチを捻《ひね》ってアーク燈をつけ、感光紙を廻転せしめよう。僕は居ながらにしてスイッチの捻《ひね》れるように準備して置いたのだ。電燈がついて居ても曲線製造には差支《さしつか》えない。

 電気心働計が働いて居る。心働計の音以外に、耳に妙な音が聞える。これも貧血の為だ!
 曲線は今作られつゝある。君に捧ぐべき恋愛曲線が今作られつゝあるのだ。然し僕は、その曲線を現像することが出来ない。何となれば、僕はこのまゝ僕の全身の血液を注ぎ尽すつもりだから。血液が出尽したとき、僕がたおれると、アーク燈や、写真装置や、室内電燈スイッチが皆|悉《こと/″\》く切れるようにしてあるから、間もなく二人の死体は闇に包まれるであろう。

 ペンを持つ手が甚《はなは》だしく顫える。眼の前《さき
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