]食物が気に入るのだ。まさか、屋台店で、食べ物を値切る人間もないけれど、値切りかねないのが、名古屋人の腹なのである。
 いや、広小路伯爵の話が、とんだところへ落ちてきたが、元来広小路伯爵なるものは、純粋の名古屋人ではないのであるから、この悪口に気を揉む必要はないであらう。その代り、広小路伯爵たちは、赤電車の通つたあとの広小路には多くは無関心である。けれども、名古屋の名古屋らしさは、午前零時以後の広小路界隈にあるといつてよい。そこにはかの『なも』『えも』のなまりを売り物にする紅裙《こうくん》たちが、縦横にうごめき始めるからである。盛栄連《せいえいれん》、浪越連《なみこしれん》、廓連《かくれん》、睦連《むつみれん》、昨今、税金の値上げときいて悲鳴をあげて居るのはいさゝか艶消しだが、さすがに玉は悪くない。

 大須界隈
 東京の浅草、大阪の千日前、京都の新京極、それに匹敵するのが名古屋の大須《おおす》である。そこには金竜山浅草寺ならぬ北野山真福寺があつて、俗にこれを梅ぼしの観音といふ。梅ぼしとは、『おゝ酸《す》!』(大須)といふ駄洒落だが、実は先年まで、観音堂の裏手に『大酸《おおす》』ならぬ
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