には、大きな年月の差異がある。とは、言はずと知れたことだが、やゝもすると、昭和の名古屋に、宝永の俤《おもかげ》が多分に残つて居るのは、あながち筆者のひが目ではないやうだ。尤も、どの都市にだつて、あの新らしさを売り物にするヤンキーたちの、礼讚措くあたはざるニユーヨークにだつて、昔の俤は残つて居るから、それは決して質の問題ではないが、今の京都よりも、却《かえ》つて名古屋に昔しくさい感じの多いのはどうした訳であらうか。廬山《ろざん》に入つては廬山を見ず、まして、病身もので、めつたに外出しない筆者のことだから、大きなことは言へぬけれど、どうも名古屋は近代化しにくい性質らしい。
とはいふものゝ、年々歳々、たえず変化はしつゝあるのだ。昭和三年には、昭和三年らしい色彩《いろどり》がある筈だ。それをスケツチして見ようといふのが、この一篇の目的だが、何しろ書斎の虫のことだから、碌な観察は出来かねる。
広小路
名古屋を西から東へ横断する、いはゞ銀座通りである。名古屋駅を下りてから柳橋、納屋橋を越すまでは、銀座どころか、銅座か鉛座ぐらゐの感じしかないが、一たび納屋橋に立つて、静かに東を向いて眼を放つ
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