、どうにも致し方がなかったのである。
 彼はいつも黒い鞄の中に二万円以上の宝石を入れて携えていた。彼は宝石鑑定家としては第一流の人間であって、他の宝石商からも鑑定に招かれたが、彼の鑑定した宝石が、時を経て彼の手中にころげこむことは、決して稀でなかった。警察の見積りによると、彼の一生涯に取り扱った宝石は一千万円以上の高に上ったということである。
 彼は脊《せい》の短いがっしりした体格の男で、強固な意志が眉宇《びう》の間に窺われ、ニューヨークの暗黒界に於ける一大勢力であった。彼が一たび口走れば、どんな犯罪者も囹圄《れいご》の人とならねばならなかったのであるから、全く無理もない話である。しかし彼はある時、強盗たちに携えていた鞄を狙われて、さんざんな目に逢い、それ以後心臓を悪くして、いつ何時たおれるかも知れぬ身体となったのである。
 まさか心臓が悪くなったからという訳でもあるまいが、この変な男がある女を恋するようになったのである。そうして、お前とならばどこまでも、ナイヤガラはあまり近過ぎるから、華厳《けごん》の滝へでも飛びこむか、或は松屋呉服店の頂上から飛び降りてもかまわないという程にのぼせ込んだのであった。
 女はニューヨークのある富豪の若い未亡人であった。若い未亡人はとかく金が要るものであると見えて、彼女も困った末に大切な宝石を手ばなすとて、グレージーの店をたずねたのである。それが二人の相識る機会となり、グレージーは女と宝石とにぞっこん惚れこんで、彼女の宝石をどしどし買い込んだのである。
 しかし、宝石はどこの家にも無数にある訳ではない。売ってしまえばなくなるのは当然のことであって、とうとう二人は変な計画をたてたのである。即ち彼は彼女に宝石を盗むことを教え、彼女の持って来た宝石をどしどし買うのであった。その頃富豪の会合の席上で、宝石が度々紛失したが、とうとうその原因は知れないですんだ。
 男の恋はだんだん深くなって行った。女は始めはまんざらにくいとも思わなかったが、秘密を知られていると、何だか空おそろしいようになって、男をきらうようになった。しかし、もはやどうすることも出来なかった。そうして、だんだん深みへはいって行くより外はなかった。仕方がないから、女も、男を非常に愛しているように見せかけたのである。
 とうとう、男はもう我慢がし切れなくなって、二人で駈落《かけおち》
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