しては小さ過ぎる、黒|鞣皮《なめしがわ》の表紙の本に目がとまった。由紀子はふと好奇心に駆られてその表紙をはぐと、
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「犯罪の魅力は生命の魅力にまさる」
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 と、筆太に記され、次の新聞の切抜が貼られてあった。

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  火薬爆発して生命危篤
     愛猟家の奇禍
三日午後六時頃府下大崎町桐ヶ谷×番地無職近藤進方にて轟然たる音響が起り同時に窓より朦々《もうもう》たる白煙の噴出するのを通行の者が認め直《ただ》ちに駈附けたるに同家の主人にして愛猟家たる近藤進(三〇)は全身に大火傷を蒙《こうむ》りて書斎の床上《しょうじょう》に打ちたおれ苦悶中なりしをもって即刻附近の医院に舁《かつ》ぎこみて応急手当を施したるも顔面及び上半身は火薬の爆発によりて目も当てられぬほどの惨状を呈し生命危篤なり原因その他に就ては目下取調中

  火薬爆発は過失と判明
去る三日午後六時半火薬爆発によりて生命危篤に陥れる府下大崎町桐ヶ谷×番地愛猟家近藤進(三〇)は遂に意識を恢復せずして四日午前九時絶命せるが其後原因取調中一時は五ヶ月以前に愛妻を失いたる厭世《えんせい》自殺ならむかとも疑われしが右は全く同人の過失にて同日書斎にて猟用二連発銃のケースに火薬装填中過って爆発せしめしものと判明せり因《ちな》みに同家は召使いの老婆と二人暮しにて半年たたぬ内に重ね重ねの不幸とて附近の人々は至極同情を寄せ居《お》れり
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 この二枚の切抜に続いて、「犯罪日誌」の四文字が記され、弘《ひろむ》の手蹟で、細かな文字が、その後の幾頁かを埋めて居た。由紀子は、今はもうすっかり腰を落ちつけて、吸いつけられるように読みはじめた。

 また犯罪日誌の書けるのが悦ばしい。獄舎の鉄窓《てっそう》をもれる月光のもとに、絞首台の幻影を掻《か》きわけながらペンを走らす犯罪日誌は、本人にとって聊《いささ》かの悦びをも齎《もた》らさないであろう。然るに自分はどうだ。何の悔恨の情もなく、ただ喜悦の情のみをもって、自分の犯した罪をいつもの如くさらさらと書くことが出来るではないか、悪魔よ随喜《ずいき》の涙を垂れてくれ。
 近藤進の過失死が実は他殺であること、而《しか》もその犯人がこの自分であることは悪魔のみの知る秘密である。そうして、自分が今ここにその真相を書き残さなかったら、永久に知れずに済むであろう。けれども、永久に知れずに済ますにはあまりに惜しい。俗謡《ぞくよう》に、「知れちゃいけない二人の仲をかくして置くのも惜しいもの」とある。その心理で、今回もまた自分はこれを書き残すのだ。
 近藤進と自分とはまったく路傍の人であった。それだのに何で自分が彼を殺す気になったのか、直截《ちょくせつ》に言えば彼の鼻である。彼の鼻が自分の気に喰わなかったからである。それでは彼の鼻のどこが自分の気に喰わなかったのか、それはいまだに自分にもわからない。別に彼の鼻がずばぬけて大きかったのではなく、また低過ぎたのでもない。曲って居たのでもなければ、仰向いて居たのでもない。けれども私は、はじめて彼に道ですれちがったとき、思わずもぞっと身ぶるいした。つまり、全体の感じが悪かったのだ。そうしてこの鼻を滅ぼさなければ、到底自分は生きて居られないと思った。だからその瞬間に彼を殺すことに決心して、彼のあとをつけて行ったのである。
 それから自分は彼の生活状態を熱心に研究して、彼の家にはしのび入り易いこと、彼は老婆と二人きりで暮して居ること、彼が愛猟家で書斎で火薬の装填を行うことなどを知り、自分はすばらしい殺害計画を思いついたのである。そうしてその後はただ時機を待って居るばかりである。
 三日――委《くわ》しく言えば十二月三日の午後、自分は例のごとくぶらぶら歩きながら近藤進の家の方へ向って居た。夕ばえが西の空をオレンジ色に染めて、雀が忙《せわ》しそうに啼《な》いて居た。すると、道辻にある餅菓子屋から五六軒行き過ぎたところで、前方からあたふた小走りに走って来る老婆に出逢った。見るとそれは近藤方の召使いである。彼女は魚屋の前へ来て立ちどまると、
「今、使が来て、娘が急に産気づいたと知らせに来たからちょっと行って来るが、家にはちゃんと錠をかけて来たけれど、若《も》し旦那様がここをお通りになったら、そのことを話してくれないかね」
「そりゃお目出度いな。ああいいとも」
「六時頃に千葉から御帰りになる筈だ。頼むぜ」
「よし、よし」
 魚屋の主人は大きくうなずいた。
 この会話をきいた時、自分は待ちに待った機会が愈《いよい》よ到来したことを知った。自分は急ぎ足で彼の文化住宅に近づき、やがてこっそり家の中へしのびこんだ。幸いにどの窓にも厚いカーテンがおろされて居て、あたりは既に
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