っていた。
 でも、そのうちに考え疲れたためか、私はいつの間にかうとうととしていた。列車が浜松を過ぎたころであったと思う。車内がにわかに騒々しくなったのに眼をさまして、何事か起きたのかと注意すると、車掌やその他の鉄道従業員があわただしく往来していた。私は妙な予感に襲われて、私の前の座席を見ると色眼鏡をかけた人相の悪い人はどこかへ行ったと見えてその場にいなかった。で、私の背後にいた人に何事が起きたのかときくと、今二等車で、乗客が大金を盗まれたため大騒動をしているのだということであった。私は「魔の列車」がその名にそむかなかったことを知って全身がぞっとするように思った。
 それから私は手洗に行こうと思い、何気なく立ち上って、靴をはこうとすると、私の右の靴が紛失していることに気附いた。私ははっ[#「はっ」に傍点]とした。腰掛の下を探しても見えないので、宵の口から想像力の旺盛になっていた私には、私の靴の紛失が、何だか、二等車の盗難事件と関係のあるように思えた。魔の列車――二等車の盗難――人相の悪い男の不在――私の靴の紛失。こう考えて来ると、私はもうじっとしていられないような気がした。
「おい車掌さん、大変だ、僕の靴が片一方なくなった!」
 私は通りかかった車掌に向って、大声でこう叫んだ。乗客は一斉に私の方をながめ中には立ち上る者さえあった。
 車掌は顔を曇らせながら、近づいて来て、先ず私の腰掛の下を捜したが、もとより有ろうはずがない。それから私の前のあいている腰掛の下を捜しにかかり、暫くの後、立ち上ったときには、その右手に一個の靴がつかまれていた。
「ちゃんとここにあるじゃありませんか。あんなに大袈裟に仰しゃるものだから、びっくりしてしまった」
 と、車掌は私を責めるようにいった。私は一寸恥かしい思いをしたが、ふと気がつくと、車掌のつかんでいるのは、私のとは少し格好がちがって、しかも不思議なことには左の靴であった。
「車掌さん、それは僕のではないよ、第一僕のなくなった靴は右だのに、それは左の靴じゃないか」
 こういわれて、こんどは車掌が変な表情をして、自分の持っている靴と、私の右の靴とを比較《くら》べて見た。
「はてな、これはおかしい、ことによると……」
 この時、留守にして居た色眼鏡の人が手巾《ハンケチ》で手を拭き拭き帰って来て、車掌の姿を見るなり怪訝《けげん》な顔をして立
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