顔が招いたので、思わずも引きつけられて、中へはいった。
 清三は、嬉しそうに迎えてくれた妙子の顔を暫く見つめていたが別に何の変った様子も見られなかった。
「妙子さん」彼は遂に堪えられなくなっていった。「今このうちから子供を連れた男の人が出て行ったが、もしや妙子さんにあいに来たのでない?」
「いいえ」と妙子は驚いた様子をした。「何だか下へ御客様があったようだけれど、どんな人だか知らぬわ」
「きっとあわなかった?」
「ええ、なぜそんなことをきくの?」
「それでは、下の小母《おば》さんにきいて来て下さい、今の人は何しに来たといって」
 妙子は怪訝《けげん》そうな顔をしたが、清三の様子が一生懸命だったのですなおに下へ行った。そうして暫くの後戻って来た。
「あの方はある生命保険会社につとめている人で、こちらの親戚ですって。今日は日曜日だから、御子さんを連れて散歩に出かけ、こちらへお寄りになったそうです」
「ちがう、ちがう」と、清三は叫んだ。「まだほかに重大な用事があったんです」
「あら、なぜ……?」
 清三の顔はにわかに血走って来た。
「妙子さん!」
「え?」
「僕は……僕は……」
 彼はもう辛抱し切れなくなって妙子に一切を告白した。
 あくる日彼はいつもより一時間も早く下宿を出た。そうして店で主人の出勤を待ち構えた。彼は妙子から主人に一切を悔悟白状するようすすめられた。「二人が一生懸命になってそのお金を作りましょう」こういわれて彼はすっかり心の荷を下し、ゆうべは安眠して、今朝は上機嫌で出かけたのである。
 やがて主人は、いつものとおりな顔をしてやって来た。
 彼は奥の間へ行って、早速主人に自分の犯した罪を打ちあけた。主人は黙ってきいていたが、その顔には見る見る驚きの色があらわれた。そうして、一通りきき終って、何かいい出そうとすると、丁度その時来客があって、はいって来たのは、外ならぬ探偵であった。
「ああ」と、気軽になった清三は威丈高になっていった。「あなたはきっと僕に御用がおありでしょう」あっけにとられた探偵のうなずくのを尻目にかけて清三は続けた。「けれどもう遅いですよ。あなたはもうこちらの主人の依頼で僕を尾行する必要はなくなりましたよ。僕は今、すっかり主人に白状してしまったのです」
 すると探偵はいった。
「何のことかよくわかりませんが、別にこちらの御主人に依頼されたことも、またあなたを尾行した覚えも御座いません。私は国際生命保険会社の探査部の白木というものです。先日あなたの叔父さんが逝去されて、五千円の保険金を残され、あなたがその受取人になっているのです。そこであなたの捜索にとりかかり遂に一昨日探し出した次第で、こちらへ御伺いしてからなお念のために御留守宅へも行きました。さっきお宿へまいりましたら、はや御出かけになったとのことで、今こちらへ御邪魔したので御座います。どうかこの領収書に署名を願います」
 ポカンとして突立った清三の前に、「探偵」は五千円の小切手と証書とをつきつけた。
[#地付き](「サンデー毎日」新春特別号、昭和四年一月)



底本:「探偵クラブ 人工心臓」国書刊行会
   1994(平成6)年9月20日初版第1刷発行
底本の親本:「サンデー毎日 新春特別号」
   1929(昭和4)年1月
初出:「サンデー毎日 新春特別号」
   1929(昭和4)年1月
入力:川山隆
校正:門田裕志
2007年8月21日作成
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