第一人格へ移る時間が縮められて行くのを見て、八九郎の両親は心配し出した。もし、その時間が極度に縮められた場合、そこに当然高師直と大星由良之助が同時に意識の上にあらわれ、高師直は大星由良之助のために殺さるべき運命になるからである。換言すれば、八九郎は、われとわが身を滅ぼすことになるからである。
そこで両親は医師を招いて、何とかして、人格交替の時間を長くする方法はないものかと相談した。けれども、誰も、この要求に応じ得るものはなかった。
とかくするうち、八九郎の人格交替の時間はいよいよ減じて行った。両親はあせった。
すると、最後に罹《かか》った医師は、T市に一大精神病院を開いている鬼頭《きとう》博士を推薦し、同博士ならば、必ず適当な方法を講じて、八九郎を自殺の危険から救ってくれるであろうと言った。
そこで、両親は、八九郎をつれ、遙々《はるばる》T市をたずねて、鬼頭博士の診療を請うことにしたのである。
二
ここで、読者に、鬼頭博士の精神病治療法を紹介する必要がある。
ある時病院内の一人の患者は、夏の夕方、東方にあらわれた虹を見て、自分も虹になりたいと言い出した。精神病者が一たん言い出した以上、その希望をかなえてやらねばどんなことを仕出来《しでか》すかわからない。
しかし、その患者に附いていた看護人は、不馴《ふな》れであったため、すぐさま、医員を呼びに行かないで、患者に向って、そのナンセンスなことを告げた。すると患者は、せめてあの虹を取ってくれろと言い出した。看護人は又もや笑って相手にならなかった。
そこで患者は、自分の左手を出して虹をつかもうとしたが、もとよりその手は届かなかった。と、患者は憤慨して、右手でナイフを握るなり、あッと言う間に、左の前腕を切り捨てたのである。
看護人は驚いて急を鬼頭博士に告げた。
博士はとりあえず繃帯《ほうたい》を施し、静かに患者に向って言った。
「君はどうしても虹になりたいのか」
「はい」
博士は切り捨られた腕を拾い上げて行った。
「君のこの腕を虹にしてやるが、それで我慢出来ぬか」
「それなら、我慢します」
博士は直ちに助手に囁いた。すると、間もなく助手はブンゼン燈や鍋や薬品などを持って来た。
鬼頭博士は鍋の中へ腕を入れ、薬品と共に煮た。その頃、もはや東の空の虹は消えていた。
暫らくすると鍋の中に、
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