い関係のあることがわかり、況《いは》んや一旦病魔に冒さるれば、多くは毒の力でなくては恢復が出来ないに於ておやである。
 人類の祖先は如何《いか》にして毒の存在を知り、その使用法を知つたか。支那では人神牛首《じんしんぎうしゆ》の神農氏《しんのうし》が赭鞭《かはむち》を以て草木を鞭《むちう》ち、初めて百草を嘗《な》めて、医薬を知つたといひ、希臘《ギリシヤ》ではアポローの子、エスキユレピアスが、草木土石の性質を会得して医道の祖となつたといはれて居るが何《いづ》れも神話中の人物で、もとより信ずべき筋のものではなく、長い間の経験と幾多の犠牲とを払ひ、其の間に或は他動物の本能的になす所を見たり、或は偶然の機会に依つたりして、毒に関する知識は発達して来たものらしい。
 原始人類の知識状態又は生活状態を知るに最も有力なる手がかりは、現今世界に散在する未開地に住する蛮族《ばんぞく》に就《つい》ての研究である。其《そ》れ等《ら》の研究に依《よ》るに、彼等は何れも矢毒(即ち野獣を射て之《これ》を毒殺すべく鏃《やじり》に塗る毒)クラーレ、ヴェラトリンの如《ごと》き猛毒の使用を知り、併《あは》せて阿片《あへん》、規那《きな》、大麻《おほあさ》ヤラツパ、など諸多《いくた》の薬剤の使用を知つて居る。中にも矢毒は原始人類にとりて必要|欠《か》くべからざるものであり、又人間を毒殺するてふことの濫觴《らんしやう》とも見られぬでもない。ホーマーの詩「オヂツセー」の中には、ユリツシーズがアイラスに矢毒を要求することが書かれてあり、希臘神話の中にもパリスが毒箭《どくや》を放つてアキリーズを射殺すことが述べてある。ボルネオに現住するヂヤークと称する土人は長さ七尺、直径五分ばかりの吹管《すゐくわん》を用ひて毒矢を吹き放ち、アデンの附近に産するある毒物は其の附近に住む、ソマリーと称する蛮族により矢毒として今も使用せられて居る。
 毒の使用を知ると同時に、毒の恐ろしさを知つたのは自然の理であつて、従つて単純なる原始人類の頭は毒に関する幾多の迷信を生じ、それ等の迷信は時として現今の文明人の間にまで残され拡がつて居る。而《しか》して毒に関する迷信は凡そ二種類に大別することが出来、その一は即ち毒物そのものに纏《まと》ふ迷信であつて、其の二は即ち毒物ならぬ色々の物質を毒と思つて取り扱ふ迷信である。原始人類に共存せる偶像崇拝
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