証拠を握るに至ったよ。
「涌井君。君はよく記憶して居るだろう。先般の学会に、僕と狩尾君とが激論したことを。その時、たしかに僕は受太刀だった。すると狩尾君は『毛利君如何です』と皮肉な口調で僕に肉迫して来た。その時、僕は『人間について直接実験を行わない限り、君の説に服することは出来ぬ』と言って討論を終った。そうして僕は、その後人間に関する研究は、畢竟《ひっきょう》人間実験を行うのでなくては徹底的でないと考え、それが不可能事であることを思って、前からの憂鬱が一層はげしくなったのだ。
「ところが、狩尾君は遂にその人間実験を敢てしたのだ。北沢は君の解剖によると胸腺淋巴体質であったから、狩尾君は彼が、そのうちの自殺型に属して居ることを知り、而も狩尾君の所謂《いわゆる》、『特別の時期』にはいって居たのであろう。それを知った狩尾君はその所謂 incendiarism を行って、北沢を自殺せしめ、もって、僕にその説のたゞしいことを示したのだ。
「北沢が自殺する以前には、少しも自殺しやしないかという虞《おそれ》のある徴候はなかった筈だ。若しあるならば、ピストルを買ったり、遺書を書いたりしたので、夫人は警戒せねばならない。して見ると毫《すこし》も精神異常の徴候はあらわれて居らなかったのであって、そのような時機にはたとい暗示を与えても自殺をせぬというのが僕の説なのだ。ところがそれを狩尾君は人間実験で破ったのだ。そうして、それを僕にさとらしめるために、遺書と投書の計画をたてたのだ。
「未亡人の話によると、北沢はM――クラブへよく行ったということであるが、ロンドンを第二の故郷とする狩尾君がそのメムバーであることは推定するに難くない。恐らく狩尾君はそこで自分にとってもあかの他人である北沢を観察し、催眠状態のもとにA氏の手記をディクテートし、なお投書の文句を書かせて、それだけは自分で保存して置いたのであろう。ピストルを買わせたのも狩尾君かも知れぬ。そうして、みごとに自説を証明し、併せてそれを僕に示そうとする目的を達したのだ。勿論、その遺書や投書やピストルが、incendiarism の役をつとめたことはいう迄もなく、北沢事件そのものは、実に天才的科学者の行った人間実験に外ならぬのだ」
 こゝまで語って先生は、ほッと一息つかれた。僕は先生の推理のあざやかさに、いわば陶然として耳を傾けて居たが、最後のところに至って、ひやりとしたものが背筋を走った。
「それでは先生、たとい直接手を下されずとも、北沢は狩尾博士が……」
 先生は、手真似で「静かに!」と警告された。「だから、はじめに君にことわってあるではないか。狩尾君は天才だよ。到底僕の及びもつかぬ段ちがいの天才だよ。こうして思い切った実験は、アカデミックな考え方にとらわれて居る僕等の金輪際為し得ざるところだ。それは世間普通の考え方から言えば、悪い意味にもとれるが、とに角、科学によって自然を征服して行こうとするには、これくらいのことを平気でやってのけねばなるまい。
「いや、このことについては、これ以上深入りしては論ずまい。それを論ずべく、僕はあまりにつかれて居る。だから、最後に、僕が遺書の中から発見したという証拠について語って置こう。
「見たまえ。この遺書の文字はすこぶる綺麗に書かれてあるが、よく見ると、ところ/″\に、棒なり点なりの二重な、即ち一度書いた上をまた一度とめた文字があることに気づくだろう。僕はそこに目をつけて、その文字を拾って見たのだ。即ち、
[#ここから4字下げ]
……書いたも[#「も」に傍点]のはない。……の……も[#「も」に傍点]
……よるものであろう[#「う」に傍点]。……の……う[#「う」に傍点]
……はっきり[#「り」に傍点]この……………の……り[#「り」に傍点]
……特に君[#「君」に傍点]に伝えず…………の……君[#「君」に傍点]
……描い[#「い」に傍点]ている。……………の……い[#「い」に傍点]
……自殺するか[#「か」に傍点]を……………の……か[#「か」に傍点]
……が[#「が」に傍点]、少くとも……………の……が[#「が」に傍点]
……不安で[#「で」に傍点]ある。……………の……で[#「で」に傍点]
……信用す[#「す」に傍点]ることは…………の……す[#「す」に傍点]
[#ここで字下げ終わり]
の九字で、これを合わせて読むと、「もうり君いかゞです」となる。この言葉を発するのは、狩尾君より他にないではないか。
「そこで僕は、その狩尾君の呼びかけの言葉に対して、返事を書いたのだ。それが、君を煩わした、新聞広告の文字なのだ。PMbtDKとは、別に暗号でも何でもなく、
[#天から3字下げ]Prof. Mohri bows to Dr. Kario.
の最初の一字ずつをとったのだ
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