する学説でありまして、之《これ》に対抗して、生活現象は物理学や化学では到底測ることの出来ぬ一種の不可思議な力を借りて来ねば説明は出来ない、と主張するのが所謂|生気《せいき》説であります。この機械説と生気説とは、大昔から、学者の間の論戦の種となり、あるときは機械説が勝ち、あるときは生気説が勝ち、一勝一敗、現になお争論されつつあります。
試みにその歴史を申しますならば、原始時代には、人々はいう迄もなく、一種の霊妙な力によって生命が営まれるものと考えたにちがいありません。何しろその時代の人は、物を感ずることは出来ても、物を深く考えることが出来ないのですから、生とか死とかの現象に接すれば、それが精霊の支配によって左右されて居るものだと思うのは当然のことであります。ところが、段々と知識が発達して来ますと、人々は生命なるものに就て、特に考《かんがえ》をめぐらせて見るようになりました。断って置きますが、日本の科学思想の発達は極めて新らしいことであり、又、むかしの思想状態を知ることが困難ですから、ここでは西洋の例をもって述べることにします。さて、生命について比較的深い考察を行ったのはギリシャ人でして、凡《およ》そ今から二千七八百年|前《ぜん》のことです。即ち、その時代に、ギリシャに自然哲学者が出まして、宇宙及び人類の生成について考え万物の本源を地水火風の四元素に帰し、この四元素が離合集散して万象を形成して居るのだという所謂機械説を樹《た》てたのであります。
ところが、その後同じギリシャに、プラトン、アリストテレスなどが出まして、人間に就て深い研究を行った結果、精神と肉体をはっきり区別し、精神を主とし、肉体を従と致しましたために、精神現象は機械的には説明出来ぬという所から、生気説が復活するに至りました。そうしてこの生気説は、キリスト教の起るに連れて、宗教的色彩を帯び凡そ千年間というもの人々の心を支配して居《お》りました。
すると第十六世紀になって所謂文芸復興期が来《きた》り、今日の科学者の先駆があらわれ、人体の解剖生理の学が発達して、再び機械説が勝利を得、あらゆる生活現象を物理学及び化学の力のみで説明しようとする、医理学派、医化学派などと称する極端な学派があらわれました。
然るに、第十八世紀の末にハラーという大生理学者があらわれ、生物にのみ特有で、無生物には見られない現象を指
前へ
次へ
全24ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小酒井 不木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング