んで、希望に輝く眼をもって、にっこり顔を見合せるとき、私たちは、いつも、測り知れぬ喜びに浸りました。実験が思わしく進まぬとき、屡《しばし》ば私は徹夜して気むずかしい顔をしながら働きましたが、そのようなとき妻もまた徹夜して、どこまでも私の気を引き立てるようにつとめて呉れました。幾度も失敗に失敗を重ね、殆んど絶望の淵に沈もうとしたとき、私を救い、力づけて呉れたのは妻でした。妻が居なかったならば、到底人工心臓の発明を完成することは出来なかったでしょう。その妻も今ははや死んで居《お》りません。そうしてその妻の死によって、私は折角完成した発明を捨ててしまわなければならなくなりました。何という不思議な運命でしょう。私はその当時の苦しかったこと、楽しかったことを思うと、今でも胸の高鳴るのを覚えます。
いや、思わずも話が傍道《わきみち》に入りましたが、さて、人工心臓の発明にとりかかって見ますと、学生時代に想像したほど、その完成は容易なものではないということがわかりました。そうして私は、恐らく、これ迄、人工心臓の発明を思い立った人はあっても、それを実現することが出来なかったために、文献にも何等の記載が無いのであろうと考えるに至りました。
通常生理学の実験は、先ず手近な蛙について行うのを便利とされて居《お》りますが、人工心臓の実験をするには、蛙はあまりに小さすぎて、細工が仕難《しにく》いですから、私は家兎《かと》に就て実験することに致しました。いやもう、その家兎を幾疋死なせたことでしょう。凡《すべ》ての実験は必ず家兎を麻酔せしめて行いましたが、いかに人類を救うために企《くわだ》てられた実験とはいえ、今から思えば家兎に対して申訳ない思いが致します。世間の人々は、科学者を無情冷酷な人間と誤解し、実験動物を殺すことに興味を覚えるほどの残忍性を持って居ると思う人もあるようですが、強《あなが》ちそういう人間ばかりではありません。私が中途で幾度か実験を思い切ろうかと思ったのも、実は家兎を苦しめるに忍びなかったからであります。
実験の順序は、先ず家兎を仰向けに、特殊の台の上に固定し、麻酔をかけて、その胸廓の心臓部を開き、更に心嚢《しんのう》を切り開いて、それから私たちの考案した喞筒《ポンプ》を、心臓の代りに取りつけるのであります。といってしまえば頗《すこぶ》る簡単ですけれど、扨《さて》その手術
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