故?
その四時間は静也にとって、「永久」に思われた。
然し、その長い四時間も過ぎた。夏の夜は更けた。
すると男は暗黒の中で奇妙な声を出した。それは全くその場にふさわしからぬものであった。
「アッ!」
嘔吐《おうと》の声。
「うーん」
嘔吐の声。
「ホ、ホ、ホ、ホ、ホ」女の甲高い声が暗の中に響き渡った。「よくも、よくも、あなたは佐々木を毒殺しましたね? 卑怯《ひきょう》もの! わからぬと思ったのは大間ちがい、佐々木は予防注射を何回も受けたのよ……」
「あーっ」と腹の底をしぼるような声。
嘔吐の声。
「だから、わたしはすぐ覚ったわ。けれど、佐々木は毒殺されたとは知らないで死んだのよ。死ぬ人の心を乱してはいけないと思って、わたしも御医者さんが誤診したのを幸いに黙って居たわ。だから、佐々木は予防注射をしてもきかなかったのだと思って死んで行ったわ……」
嘔吐の声。
「それに、わたしは、あなたを警察の手に渡したくなかったのよ。警察の手に渡れば、死刑になるやらならぬやらわからぬでしょう。わたしは、一日も早く自分で復讐しようと思ったのよ、だから、昨日まで予防注射をしてもらって生きた黴菌を嘗《な》めても病気にかからぬ迄になったのよ。先刻、あなたが電灯を消しに行った間に、病院から黙って持って来た試験管の、生きた黴菌を口に入れたのよ。それから接吻でしょう。わかって?」
嘔吐の声。唸《うめ》く声。
「なかなか苦しそうですねえ。苦しみなさい。今年のは毒性が強いから、四時間で発病すると医者が言ったのよ。『四時間』の意味がわかったでしょう? ね、これからあなたは、苦しみ抜いて死ぬのよ。電灯をつけましょうか。どうしてどうして、おお、見るも厭だ。あなたが死んでしまってから警察へ届けるのよ。たとい死体を解剖されたって、他殺だとは決してわからぬわよ、ホ、ホ、ホ、ホ、ホ」
嘔吐の声。唸く声。
死を語るにも暗い方がよい。これも……誰でも知って居ることかも知れない。
底本:「怪奇探偵小説名作選1 小酒井不木集 恋愛曲線」ちくま文庫、筑摩書房
2002(平成14)年2月6日第1刷発行
初出:「大衆文芸」
1926(大正15)年5月号
入力:川山隆
校正:宮城高志
2010年4月22日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http:/
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