なって、生れて初めて恋の苦しみを味わったこと、言わなければとても堪えられぬので思い切って告白するということなどを、敏子に向って語ったのである。その日はやはり非常に暑くて、暑いための汗と、恥かしさの汗とで、静也は多量の水分を失い、告白の最後には声が嗄《しわが》れてしまって、まるで、死にともない老婆が、阿弥陀如来の前で、念仏を唱えて居るような心細い声になった。
 敏子は臣下《しんか》の哀願をきいて居るクイーンのような態度で、静也の告白をきいて居たが、静也が語り終って手巾《ハンカチ》で頸筋を拭うと、手にもって居た団扇《うちわ》で静也をふわり[#「ふわり」に傍点]と一度あおって、甲高い声を出した。
「ホホホホホ、何をいってるの、馬鹿らしい。ホホホホホ」

[#6字下げ]三[#「三」は中見出し]

 落下傘を持たずに、三千|尺《じゃく》の高空から突き落された飛行士のような思いをした雉本静也は、その夜、下宿に帰ってから、自殺しようと決心した。犯罪学者は、自殺の原因に暑気を数えるけれども、静也は暑いから自殺するのではなく、失恋したから自殺することにしたのである。尤《もっと》も、彼に自殺を決心せしめた動機には、やはりコレラを数えないわけにはいかない。人がどしどし死ぬときに、何か悲惨な目に出逢うと、気の弱い人間は自殺をしたがるものである。
 さて、静也は自殺を決心したものの、どういう手段によって自殺したらばよいかということに甚だ迷ったのである。そうして自殺した後、何だか自殺したといわれるのが恥かしいような気持にもなった。出来るならば、自殺しても自殺したとは思われぬような方法を用いたいとも思った。そう考えて居るうち、以前、ある薬局の二階に下宿して居たときに手に入れた亜砒酸《あひさん》を思い出した。亜砒酸をのめば皮膚が美しくなるということを何処《どこ》かで聞いて来て、薬局の人に話して貰い受けたものである。その後いつの間にか、亜砒酸をのむことをやめたが、その残りがまだ罎《びん》の中に入れられて、机の抽斗《ひきだし》の奥に貯えられてあったのである。すべて人間は、一旦毒薬を手に入れると、それが危険なものであればある程手離すことを惜しがるものであって、従って色々の悲劇発生のもとになる。静也も別に深い意味があって亜砒酸を貯えて居たわけではないが。それが、今、どうやら役に立ちそうになって来た。
 静
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