、その迷信故に、御恥かしい話だが、従兄妹《いとこ》よりももっと濃い仲――○○○○の間柄――で夫婦になり、私を生んだのである。私は一人子として我ままに育ち、附近の町の中学を卒業しただけで家にとどまり、若し両親が今まで生きて居《お》れば、田舎で百姓相手に暮す筈であったのである。ところが、先年、流行性感冒が流行《はや》ったとき、父母が同時にたおれ、それ以来、私は地主さまで収まって居たが、何かにつけ、犬神の伝説にまつわられるのがうるさくなり、去年の春、所有の土地や家屋敷まで売り払って、自由な空気の中で生活すべく上京したのである。
私の家にはたった一つ、代々伝わる家宝がある。それは何人《だれ》が書いたともわからぬ「金毘羅大神《こんぴらだいじん》」の五字を横にならべた長さ五尺ばかりの額で、よほど昔のものと見えて、紙の色は可《か》なりと古びて居るが、墨痕《ぼっこん》は、淋漓《りんり》とでも言おうか、見つめて居ると、しまいには、凄い様な感じの浮ぶほど鮮かなものである。常々両親はどんなに家がおちぶれても、これだけは売ってならぬと口癖のように言って居たので、上京するときも私はそれを持って来ることを忘れなかった。そして、さしずめ、芝区の知己の家に寄寓し、間もなく、その附近に、周囲が庭でかこまれた、小ぢんまりした家を借り受けて自炊生活を営み遊んで居るのも勿体ないと思って、某会社につとめることにしたのである。「金毘羅大神」の額は座敷兼茶の間に飾ることにしたが、この額が後に私の身の破滅を導こうとは、その当座、夢にも思わなかったのである。
さて会社につとめるようになって間もない時分は、何の事件も起らなかったが、ふと私が、カフェーの女給と馴染《なじ》んで同棲するようになってから、私の身の上に不幸が湧いて来たのである。カフェーで交際して居た頃は、彼女はおとなしい気立のよい女であったが、一しょになって見ると、幻滅の悲哀とでも言おうか、私の心に十分な満足を与えてはくれなかった。けれど私は何となく彼女に引きつけられ、彼女もまた私を熱愛した。熱愛したという言葉は或《あるい》は妥当でないかもしれないが、少くとも彼女の私に対する挙動は、極めて露骨なものであった。一例をあげるならば、私は会社から帰ると、彼女は私のくび[#「くび」に傍点]にぶら下り乍《なが》ら、貪《むさぼ》るようにして、私に××するのであった。
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