まっても、あなたは決して、それで死ぬことはなかったのです。あなたの信仰なさる神様は、女には月のものがあるからという御つもりで、女を血友病には罹らせぬように工夫して下さったのです。ですから、たとい、今日、月のものがはじまりましても、やがて血は必ずとまります。あなたは、それで、死のうと思ったとて実は死ねないのです。
私の話しつつある間、老婦人の顔に、一種の獣性を帯《お》んだ表情がうかびましたが、だんだんそれが露骨になって行くのを私は見のがさなかったのです。そうして、私が語り終るなり、あッという間もなく、百五十歳の隠居さんはその皺くちゃの両腕をのばして、私の頸《くび》にいだきつきました。
あまりのことに私はわれを忘れて老婦人をはげしくつきのけました。
数秒の後、気がついて見ると、私の前に、老婦人いや、老婦人の死体が、干瓢《かんぴょう》のように見苦しく横たわって居《お》りました。
こう語って村尾氏は一息つき、ハンカチを取り出して頸筋を拭いてから、更に続けました。
「まったく、思いもよらぬ経験をしましたよ。何のために、老婦人が私にとびかかって来たのか、もとよりわかりませんが、あの恐ろしさは一生涯忘れることが出来ません。老婦人は月経がはじまったといいますけれど、或はほかの病気だったかも知れません。何しろ、百五十歳というのですから。けれども、世の中には、とても想像のつかぬ事実があることを、私たちは否定してならぬと思います。然し、いずれにしても、精神の緊張がゆるむと人間は一たまりもなく崩れるものだということが、これによってはっきりとわかりました。そうして、もし私の言葉が、老婦人の精神の緊張をゆるめたとすれば私が間接にあのお婆さんを殺したことになるかも知れません……」
底本:「怪奇探偵小説名作選1 小酒井不木集 恋愛曲線」ちくま文庫、筑摩書房
2002(平成14)年2月6日第1刷発行
初出:「サンデー毎日」
1927(昭和2)年7月17日号
入力:川山隆
校正:宮城高志
2010年3月9日作成
青空文庫作成ファイル:
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