血友病
小酒井不木

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)上《のぼ》った

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「蚌のつくり」、第3水準1−14−6]
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「たとい間違った信念でもかまいません、その信念を守って、精神を緊張させたならば、その緊張の続くかぎり、生命を保つことが出来ると思います」
 医師の村尾氏は、春の夜の漫談会の席上で、不老長寿法が話題に上《のぼ》ったとき、極めて真面目な顔をして、こう語りはじめました。
「今から十年ほど前、私が現在のところで開業して間もない頃でした。ある夏の日の朝、私は、同じ町内の下山《しもやま》という家から、急病人が出来たから、すぐ来てくれといって招かれました。この家は老婦人と、それにつかえる老婆との二人ぐらしでしたが、主人たる隠居さんを私は一度も見たことがなく、又その家から往診に招かれたこともありませんでした。何でもその隠居さんは非常な高齢で、しかも敬虔《けいけん》なクリスチャンだということでしたから、町内の人たちは、色々な噂をたてましたが、隠居さんは、あまり世間と交際しなかったので、誰もその家の内情を知るものはありませんでした。ところが、今その隠居さんが、急病にかかったからと、召使の老婆が往診を頼みに来ましたので、私は半ば好奇心をもってすぐさま出かけたのであります。
 先方へ行くと、驚いたことに、隠居の老婦人は、奥座敷の坐蒲団《ざぶとん》の上に端然として坐って居ました。けれども、私が一層驚いたのは、隠居さんの風※[#「蚌のつくり」、第3水準1−14−6]《ふうぼう》です。通常老人の年齢を推量することは困難なものですけれど、私は隠居さんが、九十歳以上にはなって居るだろうと直覚しました。といえば、大てい皆さんにも想像がつくだろうと思いますが、頭髪には一本の黒い毛もなく、顔には深い皺が縦横に刻まれて居て、どことなく一種のすご味がただよい、いわば、神々《こうごう》しいようなところがありました。然《しか》し、私にとっては、はじめて見た顔ですけれど、明かに、はげしい憂いの表情が読まれました。
 ――どうなさいました? どこがお悪いのですか。と、挨拶の後《のち》私はたずねました。
 老婦人は無言のままじっと
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