な場合には呆気《あっけ》ない程容易です。ところが、もし犯人が文字通りの殺人芸術家であって、故意に無頓着な殺人を行ったとしたならば、それこそ難中の至難事件となるのです」
「故意に無頓着な殺人を行うとは、どんなことを言うのですか?」
「つまり意識して無頓着な殺人を行うことです。一口に言えば最上の機会をとらえて、無鉄砲な、大胆な殺人を試みることです」
私は松島氏の説明が十分|腑《ふ》に落ちなかった。
「そういうような実例があるものでしょうか?」と私はたずねた。
「沢山あります。一昨年問題となったD外相暗殺事件もその一例です」
私の頭の中に、一昨年九月二十一日の夜に起った外務大臣暗殺事件の記憶がまざまざと甦った。当時多数の嫌疑者が拘引されたけれども証拠不十分で放免され、その後数ヶ月を経て、内閣が更迭したので、遂に事件は迷宮に入ったまま今日に及んだのである。私は松島氏の言葉をきいて、氏が意外な例を引用したのに頗《すこぶ》る驚いたのである。
「けれど、あの事件は、まだ犯人がわかっていないのですから、果して殺人芸術家の仕業かどうか断言出来ないではありませんか」
松島氏の唇には微笑《ほほえみ》が浮んだ。
「実は犯人はわかったのですよ」
「え?」と私は驚いて、思わず松島氏の顔を見つめた。
「びっくりするでしょう。内閣が更迭したのも犯人が知れたためです。そうして犯人の名は正式には発表されなかったのです」
「その犯人の名をあなたは御存知なのですか?」
「知っていますとも。実はその犯人が知れたのは、私があの事件に、内密に関係したからだといってもよいです」
私は好奇心のために、息づまる思いをした。私は松島氏に向って、是非その探偵の顛末をきかせてくれと頼んだ。
「お話し致しましょう。その筋の人はもう大抵知っていて、いわば公然の秘密といってもよろしいから、お話しても差支ないと思います。犯人の名を知っている人の中でも、私があの事件に関係したことを知っているのは非常に少ないと思います」
二
一九××年九月二十一日の夜、D外務大臣の官邸で、盛大な晩餐会兼舞踏会が開催された。この会合は、ある重大な政治的、外交的の意味をもって行われたのであって、当夜は首相をはじめ各国務大臣夫妻、各国の使節夫妻、その他内外の顕官が招待されて一堂に集まることになった。その日は朝から空模様が頗る不穏
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