今本当に知ったのであるから、たとえそれがどんな恐ろしい意味であっても、総監にだけは聞かせねばならぬと思った。そこで松島氏は総監の耳もとに口を寄せ、ほかの人々には聞えぬくらいの声で囁いた。
「たった一つの手ぬかりというのは、犯人が、臨終の床へ、探偵を呼び寄せて、手ぬかりの意味をたずねたことです…………」

       五

「総監は私の言葉が終るか終らぬに絶命しました」と、松島氏は語った。「もはや、申し上げるまでもなく、D外務大臣暗殺の犯人は、I警視総監その人だったのです。私がこの真犯人を知ったのは、総監が第一の言葉の意味をきいて、安心して眼を閉じた瞬間でした。
 私がこの事件を研究したとき、犯人はよほどの天才だと思いました。従来の暗殺の歴史を考えて見ましても、犯人が知れぬという事件はさほど沢山はありません。しかも警視庁であれ程熱心に捜索しても駄目だったのは、もしや、当夜招待された顕官の一人が犯人ではないかという疑いだけは持ち得ましたが、その疑いだけが何の役に立ちましょう。そこで私は、天才的犯罪者に向っては、芸術批評家として行動せねばならぬと思いました。一般に芸術家は、すべての批評家の言葉を非常に気にするものです。ですから私は、外相暗殺という芸術的作品に向って、批評を試みようと思ったのです。そこで私は、その批評の言葉を犯人の耳に入れんがために、首相始め多くの人々に官邸へ来てもらって、ああいう芝居をしたのです。あの芝居には何の深い意味はなく、ただ私の批評の言葉を一層切実ならしめるためだったのです。ああすれば、たとえ犯人がその場に居なくても、いつかは犯人に私の批評の言葉が伝えられるにちがいないと思いました。で、私は故意《わざ》と事件に大きな手ぬかりがあると申しました。そうすれば、芸術家たる犯人は、きっと、私自身から、その意味をききたがるにちがいないと思いました。それがために犯人が私に接近して来れば、やがてそれが犯人の手ぬかりになると思って第二の言葉を発したのです。あの芝居を行ったときには、無論、誰が犯人であるかを知る由もなく、ああして置いて、その後、犯人が私に接近して来る時節を辛抱強く待っていたのです。果して私の予想は当りました。しかし、犯人が総監自身であろうとは全く意外でした。外相夫人にたずねても、総監自身を疑うような動機は一つも見当らなかったのです。I警視総監の遺書
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