、私は若い時に人殺しをしたんです」
彼はぎくり[#「ぎくり」に傍点]とした。
「ははは、旦那、少し肩の肉がかたくなりましたねえ。なに、そんなにびっくりなさることではありませんよ。今じゃ私もおとなしい人間です。まあ私のいうことをお聞き下さい」
按摩は、それから彼が恋の敵《かたき》を殺すに至るまでのいきさつを凡《およ》そ一時間近くも話した。さすがの彼も、もう煙草どころではなく、段々話が進むにつれ、好奇心が恐怖に変って、いわば鷲につかまった雀《すずめ》が、鷲から懺悔話をきいて居るといったような為体《ていたらく》であった。
「……とうとう私はある晩、奴を森の中へおびき出しましたよ。いよいよの時になって、私は奴を一|歩《あし》先へあるかせ、うしろから右の頸筋《くびすじ》を、短刀でぐさと突きました。人なみはずれて背の高い奴でしたから、突いた拍子に、頸動脈から、私の右の眼にパッと暖かいものがかかったかと思うと、焼けるように眼が痛み出したんです。恋敵の血という奴は、実に恐しい力があるものですねえ。私は、奴の死骸も、短刀もすてて、右の眼を押えたまま、一目散に町の方へ走って来たんですが、どうにもこうにも痛くて仕様がないので、ある小さな病院へとびこんだのです。
院長は眼科医ではなかったですが、私が三百円ばかりはいって居る財布を投げ出して、(ほかにまだ五百円ばかり、高飛びするつもりで腹巻の中に持って居ましたが)どうか当分のうち入院させてくれといったら、金に眼が眩《くら》んだのか、素性もきかずに病室をあてがって、それから眼を診察してくれましたが、珍しい眼の出血だといって、暫らく洗ってくれたから、幸いに出血はとまりましたよ。ヒヒ、とまるのが当り前です。ところが、血はとまっても痛みがどうしてもとまりません。で院長は、とりあえずモルヒネを一筒注射してくれましたが、モルヒネの力はえらいもので三十分たたぬうちに、痛みはけろりとなおりました。
さて、翌日の晩、奴をやっつけた同じ時刻になると、右の眼が又もやずきんずきんと痛み出しました。で、またモルヒネを注射してもらいましたら、痛みはけろりとなおりました。
すると又、その翌日の同じ時刻に、右の眼が前晩《ぜんばん》よりも一層はげしく、ずきんずきんといたみ出しました。そこで又モルヒネの注射をして貰いましたが、こんどは一筒ではきかず、二筒で始めて痛
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