はそういう人間が好きであって、むしろ、彼等に近づき得ないのが悲しいといった方が適当かも知れない。

       二

 ヂュパンやホームズが、近づき難い人間であるに反して、瑞典《スエーデン》の作家ドウーゼの創造した素人探偵レオ・カリングは、いかにもなつかしみを感ぜしめる人物である。彼は永久に書生肌の抜け切らぬ男である。そうして彼は読者のすべてを自分の親友としなければ気が済まぬといったような男である。ドウーゼの小説を読んでいると読者はカリングと一しょに仕事をしている気になり、ややもすると、カリングと同じ程度に事件を解決することが出来そうに思われて来る。それでいてやはり、最後に至ると、カリングに一歩先んぜられてしまう。ホームズやヂュパンには読者は到底ついて行くことが出来ず、いわば「先達《せんだつ》は雲に入りけり」の感があるが、カリングと歩いていると、どうかすると自分の方が先になれそうに思えることがある。この点がカリングの徳であると同時に、ドウーゼの小説の優れているところでもある。
 アルセーヌ・リュパンにもこうした点がないでもないが、やっぱり近づき難いところがある。リュパンもカリングも愛国心が強いが、リュパンの愛国心とカリングの愛国心とを比べて見ると、カリングの愛国心が私たちの持つ愛国心に一致し易《やす》い気がする。ドウーゼの小説でカリングの愛国心が露骨に描かれているのは、「夜の冒険」と、「スペードのキング」とであって、この二篇を読めばよくわかる。
 ホームズやヂュパンとちがって親しみ易いとは言っても、カリングが推理や観察の力に於て、彼等に劣っているという意味では決してない。彼は自分の鋭い観察力によって発見した「クリュー」を、読者に惜し気もなく示してくれるために、彼の鋭い観察力が特に目立たぬという迄である。彼はよく考え、よく想像力を働かせるが、決して thinking machine ではなく、どこまでも thinking man である。情にも動かされるし、恋もする。この点が所謂《いわゆる》「探偵型」にはまっていないかも知れないが、そのために、私たちに親しみを持たせることは事実である。
 ガボリオーの書いたルコックは変装が非常に巧みであるが、カリングもまたルコックに劣らぬ変装好きである。変装の好きなということは冒険好きであることを意味し、これまた、若い読者に親しみを感ぜしめる。「仕込杖」と、「四つのクラブの一」には彼の変装振りの如何《いか》に巧みであるかということが遺憾なく描かれてあるが、「仕込杖」の中では、実に、彼はカリングという素人探偵と、レルネルという職業的探偵の二役をつとめて読者をあッ[#「あッ」に傍点]と言わせている。
 この、変装をしたがる癖の外には、彼には別に特種の癖というものがない。ヂュパンの癖は前に述べたが、ホームズに、コカインと音楽を偏愛する癖のあることは読者のよく知っていられるところである。カリングは探偵になるまでによく社会の暗黒面に出入りしては人間研究をする癖があったが、探偵になってからは、そうした癖はなくなった。一般に、深い人間研究をしなくては名探偵になることが出来ぬけれど、人間研究の結果、彼は人間らしい探偵となって、探偵らしい探偵とならなかったために、私たちをしてなつかしみを覚えしめるのである。
[#地付き](「新青年」大正十五年新春増刊号)



底本:「探偵クラブ 人工心臓」国書刊行会
   1994(平成6)年9月20日初版第1刷発行
初出:「新青年」博文館
   1926(大正15)年新春増刊号
入力:川山隆
校正:門田裕志
2007年8月21日作成
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