も考えるであろう。して見ると自殺を決心したものの心持ちは、自殺を決心しないものには到底理解し能《あた》わぬものだといえる。まったく自殺を決心したものの心持ちは、自殺者のみの知るところであって、世の自殺者はこの点に大《おおい》に誇りを感じてしかるべきであろう。
いよいよ自殺を決心した以上、今更、未練がましい言葉をつらねるのも気恥かしいが、思えば、君と僕とは何という奇《く》しき運命のもとに置かれたのであろう。
すでにその姓が同じ「加藤」であるということ、又同じ年に生れたということからして、不思議といえば不思議だが、しかも、同じ環境に育てられ、同じく医学を修め、その上、同じく恒子《つねこ》さんに恋をするというのは、むしろ呪われた運命であるといってよい。
二人の男が一人の女を恋する。それはもう、劫初《ごうしょ》以来、人類の世界に、無数に繰返された悲劇である。そうして恋の敗北者が底知れぬ苦悩の淵につき落され、そのために死を選ぶに至ることも、同じく無数に繰返された喜劇[#「喜劇」に傍点]である。君よ、僕はあえて喜劇という文字を使った。何となれば恋の勝利者から見れば、それは喜劇というより外にいいあらわし難い状態であるからだ。
いずれにしても僕は、この喜劇を演じようと決心したのだ。そうして、僕が自殺を決心するまでには、決して二年も一年も半年も半ヶ月も要しなかったのだ。
君と恒子さんとが接吻したのを僕が見たのは実に昨日の晩である。僕は昨日の昼まで恒子さんは自分のものと信じていたのだ。だから、僕は君たちの抱擁を見た瞬間に自殺を決心したのだ。それはもはやいかなる反省も妥協も許さないのだ。もし、聊《いささ》かの反省と妥協とを許したならば必ずそこに不安が生ずる。それこそ名状し難い不安が生ずる。それはいわゆるぼんやりした不安だ。そうしてその不安のために、自殺を行うに至るまで、いたずらに月日が経過する筈だ。
然し僕の場合には、反省の余地も妥協の余地もないのだ。だから、僕はまっしぐらに自殺決行につき進もうとしたのだ。
然らば君は問うであろう。何故に僕が、昨日の晩、すぐさま自殺を決行しなかったかと。いかにも、この質問に対しては、僕も明瞭な返答をなし得ないのを悲しむ。けれども、僕が自殺を決心した次ぎの瞬間、自殺方法について、考えをめぐらせるだけの余裕をもったことは事実である。いや、余裕を
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