二回目の仮定の駈落ちとの間に経過した時間は、アメリカの艦隊の一般の巡航期間よりも数ヶ月多いだけだということだ」と書いているところを見ると、やはり三年半と見てのことであるらしい。して見ると海軍士官をマリーの恋人と見るのは頗るおかしく、従って色の浅黒いことや、帽子のリボンの「水兵結び」なども、事件の真相から眺めて見れば一種のこじつけ[#「こじつけ」に傍点]になって来るのである。もっとも、海軍士官云々の説は六月二十四日のメルキュール紙の「昨夕発行の一夕刊新聞は、マリー嬢が、以前に合点のゆかぬ失踪をしたことがある事件に言及しているが、彼女が、ル・ブラン氏の香料店にいなくなった一週間、彼女が若い海軍士官と一しょにいたのであるということは周知の事実である。この海軍士官は有名な放蕩者であった。幸にして、二人の間に仲たがいが起ったために、マリーは帰るようになったのだと想像されている」という記事を根拠としたものであろうけれど、夕刊新聞には、第一回の失踪の原因について、マリーも母親も、田舎の友達のところへ遊びに行ったのだといっているに反し、メルキュール紙が、「海軍士官と一しょにいたことは周知の事実である」と書いているのも少々おかしいように思われる。海軍士官のことがもし周知であるならば、メリーの母親の知らぬ訳はなく、従って母親を訊問した警察の記録には載っている筈で、それを調べた筈のバーンスの著書には当然書かれていなければならぬのに、その記述はないのである。
 最後に、メリーが何処で殺されたかの問題も、知れている事実だけから推定してこれを解決することは頗る困難である。しかし、メリーの死体がハドソン河から発見されたことは、ハドソン河の近くで殺害の行われたことを想像するに難くはない。現今ならばメリーの衣服に着いている塵埃や草の葉の破片などから、それを顕微鏡的に検査することによって兇行の場所を推定することが出来るであろうけれども、当時は常識的に判断するより他はなかった。もしウィーハウケン(小説ではルール関門)の近くで認められたという女がメリーであったならば、兇行はやはりその附近で行われたものとするのが、常識的に見て当然のことである。
 そこで今度はメリーが一人の男に殺されたのか又は一団の悪漢たちに殺されたかという問題が起って来る。何となればメリーは六人のものと一しょだったという見証と、色の浅黒い
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