ポオの驚くべき推理の力について考察するに過ぎないのである。

     二、メリー・ロオジャース事件に関する事実

 その当時にすらわからない事件であるから、大部分の記録が失われてしまった今日、もはや如何《いかん》ともすることは出来ない。私たちはむしろポオの小説によって、この事件の真相を教えられるという皮肉な立場に居るのであって、かの Third Degree と称する特種の訊問法を発明したバーンス探偵の著書「アメリカの職業的犯罪者」中のこの事件の記述さえ、ポオの物語の影響が見られるということである。もっとも、ポオの小説がなかったならば、たとい、殺されたのがニューヨークで評判の美人であっても、この事件はこれ程有名にならなかったであろうから、ポオの物語の内容が重要視せられるのは無理もないことかも知れない。
 チャーレス・ピアスの著「未解決殺人事件」によると、この事件の記録は、前記バーンスの著書と、ニューヨーク・トリビューン紙の記事より他にこれという目ぼしいものはないそうである。千八百四十一年代の新聞はこのトリビューン紙を除いては現今見ることが出来ないのだそうであって、しかもポオはこのトリビューン紙の記事を一つもその物語の中に引用していないのであるから、ポオが当時の新聞記事として引用したものが、果して本当のものかどうかということさえ確かめることが出来ぬのである。が、それはとにかく、先ず、私はピアスの著によって、この事件に就《つい》て知られたる事実を述べようと思う。
 メリー・セシリア・ロオジャースは、その当時ニューヨークの下町に出入する男で知らぬものはないといってよい程であった。彼女は一八四〇年、ブロードウエーはトーマス街《ストリート》近くのアンダアスン(小説ではル・ブラン君)という人の煙草店に売子として雇われたのであるが、その美貌のために店は大繁昌を来《きた》し、当時二十歳の彼女は、Pretty cigar girl と綽名《あだな》されて後にはニューヨーク中の評判となった。彼女の母はナッソー街に下宿屋を営んでオフィス通いの人たちに賄付《まかないつ》きで間貸しをしていたのである。
 一八四一年の夏もまだ浅い頃、ある日彼女は突然店を休んで約一週間ほど姿をあらわさなかった。この事はただちに人々の話題となり、彼女が丈《せい》の高い立派な服装《なり》をした色の浅黒い男と一緒に
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