雲新聞、政倫、立憲自由新聞、雑誌「経綸」「百零一」等は実に此種の金玉文字を惜し気もなく撒布した所であった。又著書に於ても飄逸奇突を極めて居るのは「三酔人経綸問答」の一篇である。此書や先生の人物思想、本領を併せ得て十二分に活躍せしめて居るのみならず、寸鉄人を殺すの警句、冷罵、骨を刺すの妙語、紙上に相踵ぎ、殆ど応接に遑まあらぬのである。
三
併し先生自身は、単に才気に任せて揮洒し去るのに満足しては居なかった。自分が作る所の日々の新聞論説は単に漫言放言であって決して、文章というべき者ではないと言い、予が「三酔人」の文字を歎美するに対しては、彼の書は一時の遊戯文字で甚だ稚気がある。詰らぬ物だ。と謙遜して居た。然り、先生は其気、其才、彼が如きに拘らず、文章に対しては寧ろ頗る忠実謹厳の人であった。
先生は常に曰った。日本の文字は漢字である。日本の文章は漢文崩しである。漢字の用法を知らないで文字の書ける筈はない。飜訳などをするものが、勝手に粗末な熟語を拵えるのは読むに堪えぬ。是等は実に適当な訳語が無いではない。漢文の素養がないので知らないのだ云々。先生は実に仏蘭西学の大家たるのみでなく、亦漢学の大家として諸子百家窺わざるはなかった。西洋から帰って仏学塾を開き子弟を教授して居た後までも、更に松岡甕谷先生の門に入って漢文を作ることを学んで怠らなかったのである。
故に其飜訳でも著作でも、一字一語皆出処があって、決して杜撰なものでは無かった。彼の「維氏美学[#底本では「維代美学」と誤植]」の如き、「理学沿革史」の如き飜訳でも、少しも直訳の臭味と硬澁の処とを存しない。文章流暢、意義明瞭で殆ど唐宋の古文を読むが如き思いがある。
[#ここから2字下げ]
抑も芸術の物たる其由て居る所果して、安くに在る哉。蓋し吾人情性皆悩中一種の構造に繋る者にして其庶物の観に於けるや嗜む所あり嗜まざる所有り。而して庶物の形状声音是の如く其れ蕃庶なりと雖も之を要するに二種を出でず。即ち形態は人目を怡ましむる者にして其数万殊なるも竟には線条の相錯われると色釆の相雑われるとに外ならず。声音は人耳も怡ましむる者にして其の種は千差万別なるも竟に亦抑揚下緩急疾徐の相調和するに外ならず。
[#ここで字下げ終わり]
是れ維氏美学[#底本では「維代美学」と誤植]の一節である。近時諸種の訳書に比較して見よ。如
前へ
次へ
全4ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
幸徳 秋水 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング