ないのです」彼は冷然と答えた。「只《たゞ》あなたがそんな事を云われたと申上げた迄です」
「青木さん、あなたはそういう事を云われましたか?」
「えゝ、それは一時の激昂で云った事はあります」
「あなたが火事を発見なすったのは何時でしたかね」
「それはさっき申上げた通り、二時十分|過《すぎ》位です」
「火の廻り具合では、どうしても発火後二三十分経過したものらしい。所があなたはその前に二時十分前に、この家の庭を通って居られる、そうでしたね」
「その通りです」青木は不安らしく答えた。「然し真逆《まさか》私が――」
「いや今は事実の調査をしているのです」検事は厳として云った。今度は福島に向って、「火災保険につけてありますか」
「はい、家屋が一万五千円、動産が七千円、合計二万二千円契約があります」
「家財はそのまゝ置いてありましたか」
「貨車の便がありませんから、ほんの身の廻りのものだけを郷里に持ち帰り、あとは皆置いてありました」
「殺人について、何も心当りはありませんか?」
「さあ、何も覚えがありません」
 その時一人の刑事が、検事のそばへきて何か囁《さゝや》いた。
「松本さん」検事は青年記者を呼んだ。「死体解剖其の他の結果が判ったそうです。これは係官以外に知らすべき事ではないが、あなたの先刻《さっき》からの有益なる御助力を謝する意味に於て御話ししますから一寸こちらへ御出下さい」
 検事と松本は室の隅の方へ行って、低声《ひくごえ》で話し出した。私は最も近くに席を占めて居たので、途切れ途切れにその話を聞いた。
「え! 塩酸加里の中毒、はてな」松本が云うのが聞えた。
 話の様子では机の上にあった菓子折の中には最中《もなか》が入って居り、その中には少量のモルヒネを含んでいたのである。菓子折は当日午後二時頃渋谷道玄坂の青木堂と云う菓子屋で求めたもので、買った人間の風采は岩見に酷似していた。然し最中は手をつけて居ないで、子供は塩酸加里の中毒で倒れているのであった。
 やがて検事は元の席に戻って再び訊問を始めた。
「青木さんあなたが、夜警の交替時間に間もないのに、家に帰られた理由が承りたい」
「いやそれは」青木は答えた。「別に何でもない事でとりたてゝ云う程の理由はないのです」
「いや、その理由を申されないと、あなたにとって不利になりますぞ」
 大佐は黙って答えない。私は心配でならなかった。
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