の方でも廃止を賛成し、団員のうちでも随分反対者があったのであるが、投票の結果は何時も多数で存続と定まるものである。私の如きも××省の書記を勤め、もうやがて恩給もつこうと云う四十幾つの身で、家内のほかに男とてもなし、頗《すこぶ》る迷惑を感じながら、凡《およ》そ一週間に一度は夜中に拍子木を叩かねばならないのであった。
 さてその夜の話である。十二時の交替頃から暴風雨《あらし》はいよ/\本物になって来た。私は交替時間に少し遅れて出て行くともう前の番の人は帰った後で、退役陸軍大佐の青木進也と、新聞記者と自称する松本順三と云う青年との二人が、不完全な番小屋に外套を着たまゝ腰をかけて待っていた。この青木と云うのは云わばこの夜警団の団長と云う人で、記者は――多分探訪記者であろう――私の家の二三軒さきの家へ下町から避難して来ている人であった。夜警団の唯一の利益と云うべきものは、山ノ手の所謂知識階級と称する、介殻《かいがら》――大きいのは栄螺《さゞえ》位、小さいのは蛤《はまぐり》位の――見たいな家に猫の額《ひたい》よりまだ狭い庭を垣根で仕切って、隣の庭がみえても見えない振りをしながら、隣同志でも話をした事のないと云う階級の、習慣を破って兎に角一区画内の主人同志が知り合いになったと云う事と、それに各方面から避難して来ている人々も加わって来るので、いろ/\の職業に従事している人々から、いろ/\の知識が得られると云う事であろう、――然しこの知識はあまり正確なものではないので後には「あゝ夜警話か」と云ったような程度で片付けられるようになったが。
 青木は年輩は私より少し上かと思われる人だが、熱心な夜警団の支持者で、兼ねて軍備拡張論者である。松本は若い丈《だ》けに夜警団廃止の急先鋒、軍備縮小論者と云うのであるから、耐《たま》らない。三十分置きに拍子木を叩いて廻る合間にピュウ/\と吹き荒《すさ》んでいる嵐にも負けないような勢《いきおい》で議論を闘わすのであった。
「いや御尤もじゃが」青木大佐は云った。「兎に角あの震災の最中にじゃ、竹槍や抜刀を持った自警団の百人は、五人の武装した兵隊に如《し》かなかったのじゃ」
「それだから軍隊が必要だとは云えますまい」新聞記者は云った。「つまり今迄の陸軍はあまりに精兵主義で、軍隊だけが訓練があればよいと思っていたのです。我々民衆は余りに訓練がなかった。殊に山ノ手
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