云う冤枉未決八年の時となった。こゝに一寸書き添えて置かねばならぬのは、十二年には彼に取って心からの同情者だった救世軍の木藤大尉が歿した事で、之は彼にとっては一大打撃だった。
 大正十三年の劈頭一月七日、先年押詰って出した保釈願に対する却下書が配布された。そして二月には保釈|所《どころ》か、
「右の者(支倉を指す)に対する拘留は之を継続するの必要ありと認むるを以て、大正十三年三月一日より其期間を更新す」
 と云う決定が下された。支倉は正に奈落の底に突落されたのである。
 彼は最早保釈の望みはなくなった。然し未だ彼は判決を覆すべき一縷の望みを捨てなかった。
 彼は何を考え出したか、閲覧願と云うものを差出した。之にも前掲の金沢市長宛葉書の写しを附し、彼一流の遣方で三月二十四日から二十七日の僅々四日間に連続四回同文の閲覧願を出した。と同時に有名な大正の佐倉宗五郎事件が起った。


          大正の佐倉宗五郎

「オイ、支倉の所へ変に嵩《かさ》ばった小包が来たぜ」
「ちょっ、困るなあ、奴又何か手数をかけるんじゃないか」
 刑務所の係員が二人、小包を中に置いて眉をひそめた。冤枉《えんおう
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