動作に就いては私は当時アナタにも定次郎氏にも詳しく話しもし、又書面にも詳しく認めて両方に上げてある筈ですから、是非一日も早く出して下さい」
神戸牧師が庄司署長から頼まれて、故意に三本の手紙を隠したと狂気のように喚いた支倉は、後にこの為に遂に神戸牧師を偽証罪で告訴をさえ試みたが、之は神戸牧師に取っては迷惑千万な事だった。元より彼は故意に隠したのでもなんでもなく、木藤大尉が手紙を借りに来た時につい手渡しする事を忘れたので、支倉の追究が余りに激しいので、後に神戸牧師も耐りかね家探しをして幸いに見つける事が出来たので、裁判所へ差出したが、遂に支倉の満足を得る事が出来なかった。
大正九年は五、六、七、八、九と五回の公判を重ねたが、いずれも既に調べた事実を反復する許りで、新しい事実としては警視庁の写真課の技手に貞子の写真から身長を算出せしめた位のことで暮れて終った。大正十年は僅かに一回の公判で終いとなり、年は明けて大正十一年となった。支倉は一審以来正に満五年間獄に繋がれているのだった。その間筆を呵して冤罪を訴え続け、呪の手紙を書き続けていた彼は哀れな人間と云わねばならぬ。
が、こゝに愈※[#
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