た。そして一隅の机に向って何やら書き始めた。
 やがて書き終ると封筒に入れ上書を書いて、のそ/\と下に降りた。
 下では待構えていたように岸本が声をかけた。
「先生、お出かけですか」
「あゝ、ちょっとそこまで」
 岸本は目慧《めざと》く浅田の持っている手紙に目をつけて、
「先生、郵便でしたら私が出して来ましょう」
「何、いゝんだ」
 浅田はそう云い棄てゝ外へ出た。
 岸本は主人の姿が見えなくなると脱兎の如く身を飜えして二階に上った。彼は主人の机の傍へ寄ると忙しく何か探し始めた。机の上、鍵のかゝっていない抽斗《ひきだし》の全部を一つ一つ改めて、そして注意深く又元通りにした。
 やがて落胆したように彼は呟いた。
「ふむ、中々用心深い奴だ。どうも見当らない」
 そのうちにふと彼は机の上の一枚の吸取紙に気がついた。よく見ると、松下一郎様と云う文字が微かに左文字に見える。肩書の所番地も飛び/\に読めそうだ。
「しめたぞ」
 岸本は嬉しそうに呟いた。
「初めの字は確に『本』だぞ。ハテ、本郷かな、本所かな、あゝ二字目は少しも分らない、それから米か知らん。それとも林かな上の方がかすれているのでよく分らないな。次の字は川らしいな、町の字はハッキリ分るんだが、それから最後が『館』らしいな、あゝ、写真館だ、さては松下一郎と云う奴は写真館にいるのだ。何写真館かしら。あゝ、たしかに『内』と云う字は読めるのだが、山内かしら大内かしら、うむ、『本』『川』『町』『内』写真館、あゝ、どうかしてもう少し読めないかな」
 岸本がいら/\しながら吸取紙を眺めていると、下でお篠の呼ぶ声がした。
「岸本さん、岸本さーん」
「ちょっ困るな」
 岸本は地団駄を踏んで、吸取紙を横|睥《にら》みに睨んで、おかみの呼ぶ声に気を取られながら、腹立たしそうに呟いた。
「岸本さん」
 お篠はそう呼びながらミシ/\音をさせて二階に上って来た様子。岸本は残念ながらつと机の傍を離れて梯子段の口許に近寄った。
「何ですか、おかみさん」
「何をしてるの、岸本さん」
「別に何にも」
「そう」
 漸く上りついたおかみは岸本の顔を見上げながら、
「主人《たく》が何か云ったかい」
「いゝえ、何にも」
「そう。そんなら好いけれど」
「何ですか、おかみさん。先生は少し可笑しいですぜ」
「どうして?」
「どうしてたって、秘密に手紙をやりとりして居ら
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