手《あいて》に損害賠償を取るんだと云って、非常な権幕でした。然し私の見た所では大した傷でもないようだし、告訴までして騒ぐ程の事もなかろうと、穏かに示談にしたらいゝだろうと勧めたのです」
「それでどうしました」
「いや実に執拗い男でね、警察は誠意がないとか、弱いものをいじめるとか、喚き立てましてね、閉口しました。然し結局告訴するにはいろ/\面倒な手続きがいる事が分ると渋々帰って行きました」
何と云う大胆不敵な奴だろう。逃亡中のお尋ね者の身体で、例え所を隔てた他署とは云え、警察署へ堂々と出頭して、而も強硬な態度で喚き立てたりしたとは!
石子刑事は云う所を知らなかった。
若い巡査は気の毒そうに云った。
「そんな奴と知れば勿論捕えるのでしたが、少しも知らなかったものですから。それにしても警察へ出て来るなんて、実に驚くべき奴ですね」
石子刑事は頭をうなだれて北紺屋署を出た。
帰署して委細を司法主任に報告すると、主任は口惜しそうに云った。
「もう少し早く写真が手に這入ると、捕まったんだなあ」
根岸刑事は無表情な顔をして黙っていた。
石子は根岸の冷然とした態度が少し癪に障ったけれども、考えて見ると写真の事に気がつかなかったのは全く自分の落度だから仕方がない。彼は面目なげに頭を掻いた。
「どうも相すみませんでした」
「何、失敗は成功の母さ。君がそれだけ経験を得た事になるのさ。ハヽヽヽ」
司法主任は磊落《らいらく》に笑ったが、直ぐに語気を変えて根岸を省みながら、
「然し何だね。これ位大胆不敵な奴は珍しいね。之が無学な奴なら前後の考えもなく無茶でやったと云う事が出来るかも知れんが、奴は充分学識があるのだからね、全く警察を軽蔑しているのだよ。電車から落ちて腕を少し怪我した位で、お尋ね者の身体で損害賠償を取りに警察へ出て来るとは随分好い度胸だね」
「人を舐《な》めた奴ですよ」
根岸は相変らず冷然と答えた。
「実に人を食った奴だ」
石子刑事は独言のように叫んだ。彼は支倉に愚弄されている自分の哀れな姿を思うと、腹立たしさに堪えなかった。今に見ろ! と心の中で叫んでいた。
突然扉が開いて、蒼い顔をした渡辺刑事がよろめくように這入って来た。
「ど、どうしたんだ」
流石の根岸も驚きながら聞いた。
「逃がしたのです。あの写真師を――彼奴《あいつ》は又支倉の家へ行きました。出て来
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