てた件は第一の聴取書をのぞく外満足なのは少しもありません。同日は明治学院より三一神学校を経浅草へ行き花屋敷に入り、米久《よねきゅう》牛肉店にて夕飯を食し、帰宅したのであります。
 神戸牧師仲介の下に事済みとなりしものを、自分にして病院へ伴れ行くいわれありません。仲介者が俗に云うゴロツキならいざ知らず、立派な牧師が立会い事済みとなりしものを、誰が考えましても後から又金をゆすられる心配ありましょうか、ありません、荊妻もその一切を承知して居るものに自分は荊妻に申訳ないからとて同人を殺す、そのような事を気狂いならいざ知らず、自分はいたしません、自分には出来ないのであります。
 人生無常年齢十代で死す者もありますれば、二十代で逝く者もあります。自分は五十を余すこと六ツ、命を惜しみはいたしません、然し冤罪の下に悪名を帯び斃れる事を嘆くものであります。神楽坂署で申立ての土方を頼み放火させた覚えありません。自分も又放火した覚えもありません。
 英邁賢明なる判官閣下、事件の前後に付き御判断なし下され自分の犯してあらざる事、御証明いただき度し」
[#ここで字下げ終わり]
 以上が上願書の論文である。

 六月四日に古我判事の手許に差出した支倉の上願書は昨日掲げた通り、頗る哀調に充ちて、所謂哀訴嘆願と云う風であるが、越えて六月十七日及追加として十九日に出した上願書なるものはガラリと態度が変って、こゝに初めて彼は神楽坂署の拷問を訴え出した。事がならないと見るとガラリ/\と態度を変えるのが支倉の悪い癖だ。その為に通るべき筋道の事でも通らなくなる恐れを生じるのは彼の為に惜むべき事だ。例えばこゝに持出した拷問事件でも、彼が予審廷に引出されると同時に申立てれば好かったものを、古我判事が苦心調査に当って、正に二ヵ月を経過した今日に俄然そんな事を云い出しても既に遅い。のみならず、その二ヵ月の間に於ても度々申立てを変更したり、電車はなかった筈だなどと云った。自白の事実を否認しようかとかゝって失敗したりした後だから、いよ/\彼に不利なのだ。
 けれどもこの拷問云々の上願書は今後彼が大正十三年六月十九日第二審の判決に先だって、獄中に庄司署長に対して恐ろしい呪いの言葉を吐きかけながら縊死を遂げるまで、約八年の長きに亘って、繰り返し述べ立てた所で、長き獄中生活と、その孤独地獄の苦艱から逃れる為に五体のあらゆる部
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