して行った。それはむしろ先生の方から積極的に近づいて来られるのだった。無論私も親しくすればするほど、先生の慈愛深い点や、正直一方の所や、いろいろの美点を認めて、敬愛の念を深めて行ったけれども、終いには先生が教えるというよりは、恰《まる》で親身のようになって、而も私がもし離れでもしたら大変だというようにして、自ら屈してまで機嫌をとられるのが、はっきり分るほどになった。それが毛沼博士の死以来益々激しくなって、それは恰で恋人に対するような態度だった。私は内心うす気味悪くさえ感じたのだった。
 さて、その日はいつもの通り、いろいろ話合った末、晩餐の御馳走にまでなったが――この時は夫人も一緒だった。之も一つの不思議で、世間に噂を立てられたほど、夫人によそよそしかった先生が、この頃では次第に態度を変えられて、夫人にも大へん優しく親切にされるようになっていた。それが、やはり毛沼博士の死を境にして、急角度に転向して、流石《さすが》に言葉に出して、ちやほやはされなかったが、普通一般の夫よりも、もっと夫人に対し忠実になられたのだった。夫人の方ではそれを喜びながらも、反ってあまり激しい変化に、幾分の恐れを抱いておられたようだった。今までに、食卓を共にするなどということは絶対になかったのだが、この時は私と三人で快く会食せられたのである――会食後、夫人は後片付けに台所へ退られ、先生も鳥渡中座されたので、私は何心なく机の上に置いてあった先生の著書を取上げて、バラバラと頁を繰っているうに[#「うに」はママ]、その間からパラリと畳の上に落ちたものがあった。
 私は急いで、それを拾い上げたが、見るとそれは先生が大へん欲しがっておられた例の雑誌の写真版だった。いつの間に手に入れられたのか知らんと思って、じっと眺めると、私はハッと顔色を変えた。写真版の隅の方が欠けているではないか。切口も大へんギザギザしている。明かに鋏《はさみ》なぞで切取ったのではなく、手で引ちぎったものだ。而もその欠けている隅が、私にはハッキリ見覚えがある。確かに毛沼博士の所にあった雑誌に、その欠けた隅が残っている筈だ。もし、その写真版をあの雑誌に残っている切端に合せたら、寸分の狂いなくピタリと一致するに相違ない。
 私は余りに意外な出来事に、茫然とその写真版を見つめていた。それで、いつの間にか、先生が帰って来て、私の背後にじっと立っておられるのを知らなかった。
 私がふと振り向くと、先生は蒼い顔をして、佇《たたず》んでおられたが、ハッとしたように、
「ああ、君にいうのを忘れていたが、その写真を見つけましたよ」
 と何気なくいって、そのまま元の座につかれたが、その声が怪しくかすれているのを、私は聞き逃さなかった。私は然し何事もないように答えた。
「そうでしたか。私も一生懸命探していたのですが、とうとう見つかりませんでした」
「出入の古本屋が見つけて来てね。他の記事は別に欲しい人があるというので、私は写真版だけあればいいのだから、後は持たしてやったのです」
 私には博士が明かに嘘をついていることが分った。もし古本屋が雑誌を持って来て、切取ったものなら、こんな乱暴な取り方はしない筈である。いっそ嘘をいうのなら、始めから古本屋が写真版だけを取って持って来たといえばいいのに。平素正直な博士は突然にそんな旨い嘘はいえなかったのだ。
 博士は尚弁解を続けられた。
「君に頼んであったのだから、見つかった事を話すべきでしたね。ついうっかりしていて、すみませんでしたね」
「どういたしまして」
 私は写真版を元の通り本の間に挟んで、机の上に戻すと、直ぐに話題を他に転じた。先生もそれを喜ばれるように、二度と写真版の事については話されなかった。
 私はともすると心が暗くなるのを禁ずることが出来なかった。先生には努めてそれを隠しながら、そこそこに私は帰り仕度をしたのだった。

     盗んだ者は?

 写真版の発見は私の心に、ひどい重荷を背負せた。
 笠神博士の所にあった写真版が、毛沼博士の寝室にあった雑誌から取り去られたものであることは、疑いを挟《はさ》む余地がない。あの雑誌は数が大へん少なくて、笠神博士と私が出来るだけの手を尽しても、手に入らなかったものである。それも、笠神博士の所にあるものが、完全な切抜だったら問題はないが、隅の方が欠けていて、乱暴に引ちぎった形跡が歴然としているのだ。もう一冊あの雑誌があって、それからむりやりに写真版を引ちぎり、恰度同じように片隅が雑誌の方に残ったとしたら別問題だが、そんな筈はありようがない。第一雑誌そのものの数が非常に少ないのだし、写真版は大へん貴重なものだし、そんな乱暴な切取り方は普通の場合では、誰もしないだろう。仮りに破り損ったとしても、破片は破片で別に切取り、裏うちでもし
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