古田は証拠を消す為に、先生から奪《と》った原稿を焼こうとしている所でしたから、もう一足遅いと先生の研究は永久に葬られた訳です。内野君は古田は人の目につかぬ所に原稿を隠しているから、彼を刑務所へやってから探すつもりだったらしいが、彼が焼き棄てようとは思わなかったのでしょう。もうお気づきでしょうが、内野君は即ち無電小僧です[#「内野君は即ち無電小僧です」に傍点]。私は[#「私は」に傍点]? 私は私立探偵[#「私は私立探偵」に傍点]です。先生に身辺を保護すべく頼まれたのでしたが、今考えて見ると、先生は私に清水を捕らえさすつもりだったらしい。紅茶に酔わされた為に、先生の目的も私の目的も達せられなかったのでした。多分親切からでしょうが、紅茶に催眠剤を入れた方は飛んだ罪作りの方です。
ではさようなら、お身体を大切に』
私読んでいるうちにほんとにびっくりしちゃったわ。なんだか内野さんの方の手紙を見るのが恐いようだったけれども思い切って開けて見たの。
『私の好きな八重ちゃん。
ご機嫌よう。相変わらずじれったいんでしょう。
私もお蔭で達者です。
私の事ももうそろそろ分かった時分でしょう。あの日は全く苦戦でしたよ。何しろ相手が下村君、実は木村清君という豪の者ですものね。ただあの場を切りぬけるだけなら訳はなかったのですが、先生のご研究をそっくり頂戴したいと思いましてね。古田の忍び込んで来たのは、元々、私が誘き寄せたのですから、証拠がなくたって、私にはちゃんと分かっている訳です。実は彼をその場で押さえて、原稿の在処《ありか》をいわせるつもりでしたが、紅茶に酔わされて駄目。そこでそれを逆用して、古田の事をいい立てて、検事の信用を博すると共に、古田を刑務所に送ろうとしたのです。無論留守中に彼の宅から原稿を盗み出すつもりです。
それで、かねて古田の手から奪い取った彼の翻訳の原稿の切れ端を、手早く書物の間に挟んで、それを証拠に古田の来た事をいいたてたのですが、検事始め余人は騙せましたが、たちまち木村君に看破《みやぶ》られたらしいのです。私はもういけないと思いました。先生の仕掛けに気がついて天井裏に潜り込んだ時に、予期した通り最後の研究の原稿は見つかりましたが運び出す事が出来ません。多分診察所の窓を開けて置いた事も、木村君は気付いているだろうと思って先手を打ったのでしたが、思えば危ない事でした。
とにかくこうして先生の原稿の頭と尻尾《しっぽ》は手に入ったのですが、胴中を思いがけなく古田の手から、木村君にしてやられました。木村君がお互いに国の為でもあり、先生の為でもあり、一つにして陸軍省へ出そうじゃないか。その代わり、君の事も確たる証拠は何一つないのだから、何にもいわぬというので、私も潔《いさぎよ》く原稿を差し出しました。
紅茶のご馳走どうも有り難う。あれは私には幸いでもあり、不幸でもありました。それからいつか貰った写真ね。あれは私の身許が分かっては、あんたも嫌でしょうからお返しします』
返さなくたってよいのに、私思わず声を出していったわ。最後にパラリと封筒から出た台紙のない手札の半身姿の自分の写真を、ビリッと破っちゃったわ。どうという訳もなかったの。それにしても二人とも偉いわね。あたしが紅茶の中へカルモチンを入れた事を看破ったわよ。あれはそら、あの晩二人が大議論したでしょう。それから先生に呼ばれたでしょう。あとであの続きをやられては叶《かな》わんでしょう。それに喧嘩にでもなってはいけないと思って、二人に飲ましたんだわ。そしたら夜中にあんな事が起こってしまって、ほんとに困ったわ。二人をああして寝かさなければ、先生は助かったのでしょうか。まさかそんな事ないわね。だって先生は覚悟の自殺ですもの。それとも清水にもっと疑いがかかって、あの機械仕掛けの事が、ああ早く分からなかったかしら。それとも内野さんなんかが疑われて、もっとこんがらがったでしょうか。何にしても先生に対して悪かったんでしょうかね。そうだとするとあたし悲観してしまうわ。
底本:「本格推理展覧会 第三巻 凶器の蒐集家」青樹社文庫、青樹社
1996(平成8)年3月10日第1刷発行
入力:大野晋
校正:kazuishi
2000年11月14日公開
2005年12月7日修正
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