さんが怒鳴り出したの。
『あいつだ。そうだあいつだ』
皆|吃驚《びっくり》して内野さんの方を見たわ。
『皆さん、ご承知でしょう。ドイツ語教師古田正五郎を、あいつです。ここへ忍び込んで来たのは』
あたし二度吃驚したわ。だってこの古田の話はやっぱりあの無電《ラジオ》小僧と関係して、つい先頃新聞に喧《やかま》しく出された不思議な事件ですものね。今でこそもう覚えている人は余りありますまいが、当時は知らない人ってなかったでしょう。古田というのはね、どっか私立学校のドイツ語の先生で、片手間に翻訳なんかしている人なの。新聞に写真が出てたっけが、クシャクシャとした顔で、まるで狆《ちん》ね、それでいて頭が割合に大きくて背が人並はずれて低いっていうのですから、お化けに近いかも知れない。でも頭脳《あたま》が大変よくて、翻訳なんか上手なんですって。この人が突然行方不明になったんですわ。おかみさんが心配して、このおかみさんの写真も出ていましたがそりゃ別嬪《べっぴん》よ。あたし位かって、冗談いいっこなしよ。そのおかみさんが方々探しても見つからないので警察へ届けたの。そうすると何でも家出してから四、五日目におかみさん宛てに手紙が来て、余儀ない事情で二、三週間家に帰らないが、決して心配する事はない、愉快に暮らしているからって、手紙の中にはお金が入っていたのですって、警察でもうっちゃっといたらしいの。そうすると手紙通り三週間目かにブラリと元気のいい顔をして帰って来たのよ。警察でもいろいろ聞いたらしいけれども、ハッキリした事はいわなかったんですって。その時はそれでよかったんですけれども、一カ月経つとまた家出をしたの。二、三週で帰ってくると置き手紙がしてあったので、今度はおかみさんも騒がないでいると、二週間程すると今度は蒼い顔をして帰って来たんですって。三度目が大変なの、例によって二、三日留守にしたと思うと清水の爺さんの宅《うち》で切り傷を拵《こしら》えて気絶していたの。その時は何でも爺さんに翻訳の頼まれものをしていたらしいのですが、その晩に強盗が入ったの、人の宅だから黙ってりゃよいのに抵抗したんでしょう。切られた上に打《ぶ》たれて気絶しちゃったの。傷は浅かったんだけれども、ひどくぶたれたんですね。警察でも随分調べたけれども、手掛かりがちっともないの。それに清水の爺さんは盗人《ぬすっと》が恐いから随
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